(パールハーバー)
ハワイ旅行の目的には真珠湾を観ておきたいと言う気持ちもあってヨウイチヤング爺が出発前に予約をしてくれていました。 日本人として見なければいけない場所です。
【公認ガイドと行く】パールハーバー(真珠湾)まるごとヒストリカルツアーと言うのですが費用は日本円で1万円、少々高額だけれど真珠湾を観なかったらハワイに来た意味がない。
団塊世代は戦後まもなく生まれた世代で過の第二次世界大戦を語れる世代ではないのですが、それでも親戚の伯父さんは亡くなっているし私の親父は軍属としてパラオで左腕を失くしています。
その第二次世界大戦の口火をアメリカ軍港である真珠湾を奇襲する事で切ってしまった日本、ここでは自分の思想信条や知ったかぶりの戦争歴史を、素人のジジイが書いてもショウガナイ、ので観光と言う視点でのみ、つまり物見遊山で書く事にお許し下さい。
集合場所 MARIN SURF ホテル正面玄関
集合時間 6時40分
昨日のポリネシアカルチャーセンターでの集合場所もそうでしたが案内してくれる人が居る訳でもなく、このパールハーバーツアーもこの集合場所での客は我々4人だけでしたので、この場所で間違いないのかと少々不安になってしまいます。
やって来たのは、やはりトラック改造車様のバスでしたし公認ガイドとなっていますが運転手兼ガイドでホノルル在住の日本人、年齢は55歳?とか。
流石に公認ガイドさんです、知識、薀蓄はたいしたもので日本における当時の政治や兵器等にも詳しく流暢な説明をしてくれました。
聞くと日本では強電の仕事をしていて“碍子”マニアだったそうです。
他のツアー客をPICK UP しながらパールハーバーに着いたのが7時30分ぐらいでしょうか、見学の開始です。
碍子”ガイシって知ってます!昔の古い家では良く見かけましたが今は、そう電車のパンタグラフや架線の支持絶縁体として使用されている白い磁器の事です、ん!解らない?
入ると門柱の様にニョキッと立っているミサイルが目に飛び込んできます。
一見、張りぼての模型?何て思ってしまうのですが本物でした。
冷戦時代に潜水艦から発射されるポラリスミサイルですが核弾頭が小型化された今はもっと小さくなっているそうです。(SLBM)
レギュラス RGM-6 アメリカ海軍初の長距離艦対地巡航ミサイル
これも潜水艦から発射されたミサイルでポラリスが開発されて退役となった。
もう一つミサイルがありました、トマホークです。
有翼航空機と言う位置づけの巡航ミサイルでSALT Ⅰ条約違反の回避を目論んだ苦肉のミサイル、と言う話ですが。
このトマホークも潜水艦から発射されました又、後に見学する戦艦ミズーリからも発射されました。
時代がバラバラですが日本の人間魚雷も展示されていました。
第二次大戦下での魚雷は日本の酸素魚雷が群を抜いていたそうです、アメリカ合衆国が開発した魚雷は泡が多くて残した航跡が目立ち回避されやすかったと説明がされました。
日本人なら誰もが知っている事です、あっ失礼!我々団塊世代の人は・・ですね。
アメリカ合衆国の魚雷も多く展示されています。
アメリカ潜水艦「ボーフィン」(USS Boufin.SS-287)本級はガトー級潜水艦ですがこのボーフィンは高張力鋼を使用した安全潜航深度122mに改良されたバラオ級となっている、とウィキペディアには書いてあります。
桟橋から乗り移れるのですが実は、この潜水艦287は1944年8月22日に沖縄から本土長崎に疎開する学童を輸送していた対馬丸を雷撃した潜水艦である為に日本人として心象に良くないと言う配慮から日本人の観光ツアーからは除かれています。
雷撃を受け沈没してから丁度70年と言う節目もあって対馬丸のニュースがTVで放映されていますが詳細についてはウィキペディア「対馬丸」をご一読下さい。
パールハーバー ビジターハウスは人気が有り大勢の観光客が見に来るそうですが、この場所はアメリカ海軍の敷地内でありバックを持っての見学は禁止で手荷物としてはポケットに入る程度の大きさと制限がありました、カメラはOKでした。
入域する前に手荷物の預かり所があります。
ここでパールハーバー観光の位置関係を確認しておきましょう。
ホンマは行く前に確認しておくべきなのですがジジイなもので何時も事後の確認となってしまうのです、そして“なあ~る程!と。
一旦、パールハーバー・ビジターセンターを離れフォード・アイランド橋を渡ってフォード島へ上陸し③戦艦ミズーリ記念館へ。
この渡ったフォード・アイランド橋ですがガイドさんから“橋を渡っている時は写真を撮ってはいけません!発見されたらカメラは没収されますと注意。
禁止の理由は橋の幅が解ると物資の輸送能力を知られてしまうからだそうです。
下からなら良かったのかなあ~、シゲ爺がスマートフォンでパチリ。
だけど
Google 地図の航空写真で見られるのになあ~
Google 地図の航空写真で見られるのになあ~
③ 戦艦ミズーリ記念館
戦艦ミズーリ 戦艦大和
全 長 270.4m 263m
最大幅 33m 38.9m
排水量(満載時) 58000トン 69100トン
最大速力 33ノット 27ノット
主 砲(口径) 40.6cm 46cm
軍人?民間?軍の施設と言うものの愛想が良いスタッフが出迎えてくれます。
主砲 口径40.6cm 前部3砲塔6門
船首に向かって、大和坂ならぬ!ミズーリ坂
ミズーリは1955年に退役しているが1986年に復役して近代兵装に改修されて1991年の湾岸戦争に参戦している。
その改装でトマホーク巡航ミサイル(32基)ハプーン対艦ミサイル(16基)を装備し以下の写真はミサイル発射の制御盤の様です。
トマホークの発射制御盤?
これはハプーンと書いてあります。
これらの装備がある部屋は作戦指揮室であり指揮官の椅子が中央に、そして臨戦態勢になると部屋全体がブルーライトに照らされます。
椅子に手を当てて話されている方がガイドさんです。
作戦卓上の地図でしょうか。
作戦指揮室から出ると日本が降伏文書へ調印した甲板に進みます。
1945年9月2日
そして、その位置には当時の乗組員達が寄付をして取り付けたプレートがありました。
零戦の特攻写真がありました。
特攻隊員の遺体の一部が40mm機銃座から回収され、ウイリアム・キャラハン艦長は、この飛行士は名誉を守って自らの任務を全うしたとして海軍式の水葬で弔う事を決定した。
乗組員からは反対もあったが艦長の命により水葬が行われた。
凹んでいる部分が体当たりした跡だと言う事です。
後部主砲(3砲塔 1門)これで一周です。
通常、砲身は下げておくのですがミズーリの場合は何時でも応戦できるぞ!と言う意味を込めて立てているのだそうです。
ガイドさんが変な事を言っていたなあ~、ん!あまり受けなかったので私は控えます。
退艦して次は同じフォード島にある ④ パシフィック・アビエイションミュージアム
ここは真珠湾攻撃時に使用されていた格納庫を改造して現在も使用している。
中に入ると先ず零式艦上戦闘機 二一型(A6M2b)そう!飴色の機体です。
5機の零戦から復元された機体です。
真珠湾攻撃で使用された爆弾と浅深魚雷で、この様な性能を持った魚雷は日本独自のものです。
迎撃に飛び上がったカーチス P-40 ですが零戦の敵ではありませんでした。
B-25 ミッチェル 双発中型爆撃機
SBD ドーントレス 艦上偵察爆撃機
F4F-3 ワイルドキャット 艦上戦闘機
日本軍機が墜落して朽ちた主翼も発掘を再現して展示されていました。
掲載しきれませんのでこの辺で止めますが、色々と興味深い展示がなされていました。
この博物館にも土産物売り場が有りましたが特に興味のある商品はありませんでした。
この建物から100mぐらい離れた場所に近代のジェット機を提示しているエリアもあったのですが残念ながらツアーには含まれておらず観る事が出来ませんでした。
やはり、こう言った場所には個別で行く事しかない様です。
そうそう一昨年ですがニューヨークに行った時に空母イントラピットがバスの車窓から見えて、ヒャー観たいなあ~と言う願望に駆られましたが、やはりツアーには組み入れられておらず断念!英語がしゃべれない事を今更ながら不勉強だった我が身を悔みましたね。
USS アリゾナ記念館はフォード島に近いのですがボートの発着埠頭へ向かって⑤ パールハーバー・ビジターセンターに戻ります。
ボートに乗船する前に真珠湾記念映画館で映画を観させられます。
⑥ 全て英語で中身の大半は解らないのですが真珠湾攻撃に至った経緯等を放映している様でした。
アリゾナ記念館は沈没し戦死したアリゾナ乗組員の慰霊碑であり艦橋前方部分に建てられておりボートに乗って渡らなければなりません。
細長く白い部分が記念館です。
記念館へのチケットには10時30分発となっています、恐らく乗船人数をこの時間チケットでコントロールしているのでしょう。
乗船口には多くの観光客が列を作るでもなく雑然と乗船を待っています。
ガイドさんが“アメリカの人は並ぶ習慣が無いので前が進んだらついて入って下さい”と言っていました。
⑦⑧ 連絡ボートに乗船すると運転手と言うかスタッフの人がマイクを握って何やら説明をしてくれているのですが英語を理解できない我々ジジイの集団はただスタッフを見つめるだけです。長身で中々のイケメンでした。
この人も軍人なのかなあ~、それらしい制服と帽子を被っていましたが。
前方に先程見学したミズーリが、そしてその手前に見える白く細長い建物がアリゾナ記念館です。
桟橋に到着、USS Arizona Memorial
記念館の窓から見える砲塔跡ですが位置からすると前部の二番砲塔回転台でしょうか。
記念館の床下にも窓が設けられていて海底に沈むアリゾナを望める様になっているのですが朽ちていて何が何やら?
一番奥に艦と共に沈んだ乗組員の氏名が刻まれています。
⑨ 見学時間は30分ぐらいでしょうか、次の見学者が運ばれて来るボートに乗船して戻ります。ガイドさんが帰りは船の後ろに座った方が良い写真が撮れますと言うので最後尾に座ってパチリ。ミズーリが見えて。
アリゾナ記念館の全景をみて戻ります。
広島で被爆し白血病で幼くして亡くなった貞子さんの紹介もなされていました。
さくら爺は気が付かなかったのですが、この写真はシゲ爺の撮影です。
戦争写真回廊には赤城の模型もありました。
12時には見学を終了しホノルル市街へ、早朝からのツアーでしたが半日で終了です。
ガイドさんの話ではパールハーバーは人気があり来場者も多くなることから早朝からのツアーを組んでいると言う説明でした。
午後からの自由行動と旅行最後のホノルルは次回 Episode 6 でお話して完結です。