2020年12月24日木曜日

さくらじい残日録12月号

  “さざんか”ですが、今年は当たり年なんでしょうか?花数が多い、当地の方言かもしれませんが“えらい誇っています。


 今年の麦巻きが終わりましたのは11月27日でしたが、この日は目いっぱい仕事をしましたので御褒美・・と言う訳で350mℓの糖質0発泡酒を2本グビグビとやりまして日本酒は既定の0.8合を飲み血糖値HbA1cを下げるべく米抜き、つまりおかずだけを食べて晩飯を終了。

 暫くしてトイレに行くと( ,,`・ω・´)ンンン?血尿を視認(;゚Д゚)

 あっちゃあ~・・ヤバイ・・何せ5年前になりますが膀胱手術の事がありますので。

 その晩の血尿は2回だけで後は何事もなかったように普通のオシッコに??

 その晩は不安で、と言ってもショウガナイと自分に言い聞かせて翌日に急遽・行きつけの医療センター泌尿器科を受診。

 取り合えず尿検査では血尿は無く特に異常データも認められずに問診を受け膀胱内視鏡による検査と尿の細胞診断をしましょうと言う予約しての帰宅となったのですが膀胱を覗いてみるまでは安心できません。

 いやあ~我が人生、俺もこれまでかあ~と思ったことが過去に何回かありまして、それでも都度何とかなって今に至っていますがまあ~検査結果待ちとなった訳です。

 ここで結論から先に言いますと尿の細胞診断、つまり悪い顔をした細胞は視認されず陰性だったと医師の報告があり続けて行った膀胱内視鏡での観察でも再発などは認められず。

 先ずは良かった( ^ω^)・・・(´▽`) ホッ

 でも何ですなあ~5年前のトラウマがあるものですから・・

 じゃあ入れますよと医師が!!さくらじいは挿入されていく内視鏡のモニター画像を固唾を飲んで凝視Σ(゚Д゚)

 おお~無い!!無い( ^ω^)・・・医師がさくらじいさん大丈夫だね、手術後の痕跡だけだからね。

 いやあ~先ずはホッと一息、でもあの血尿は何だったのかなあ~

 思い当たるとすれば麦蒔きで重い肥料(20Kg/袋)の小分けと小分けした(7Kg/個)のバケツを両手に下げて畔をエッチラオッチラ、4日間連続でこの力仕事を続けたからからかもしれん、ヤッパリ年相応に仕事をしないと無理はイカンと言う事なんだろうねえ~。

 こんな事がありまして3か月毎の検診で尿の細胞診断と1年に1回の膀胱内視鏡による観察をお願いして医療センターを辞去したのでした┐(´∀`)┌ヤレヤレでございます。

 明石に住む元会社の友人が、これ美味いよう~酒のつまみに食べて下さいと送ってくれた“あご”、何事も無かったかの様に今日も350mℓの糖質0の発泡酒をプッシューとあけてグビグビと飲んで頂いた“あご”をカジルと( ^ω^)・・・美味い!

  “あご”ってトビウオの事ですよ。

 ウオーキングで空を見上げると( ,,`・ω・´)ンンン?こんな雲が、そうなんです秋の晴れ渡って乾燥した空にはこんな雲を観ることがあるんですね。

 如何でしょうか、何か自然の芸術と言うか、これも一瞬なんですね、写真撮影をチョット躊躇するともう形が変化して違う雲になってしまうんです。

 TVで言っていました、この日の香川県上空には穴あき雲が観られて・・この雲も穴あき雲の一種かなあ~

 別の日ですが、この日はこんな雲が天空にありました。

 ウオーキングシューズですが何時もは適当に、そうですねえ~5000円ぐらいを目処にして購入していたのですが購入して半年持てば良い方で速い靴だと3か月ぐらいで踵がすり減ってしまう。

 こんなんじゃあ堪らんなあと言う訳で今回はスポーツ専門点でミズノのランニングシューズを購入してきました。

 13000円ですからね、大奮発(@_@)です。

 さて、この靴ですが何ヶ月持つでしょうか、さくらじいは歩くのが下手なのかもしれませんが1年は持ってほしい、因みに10000歩/日がさくらじいのウオーキングノルマです。

 このウオーキングですが歩いていると色んなことが頭に浮かんでくるのです、まあ~良い事はほとんどないかな、ただ工作をしていて試行錯誤して思案に暮れている時などには案外、妙案を閃くことがあるから不思議です。

 そしてもう一つは前にも何回か書きましたが過去のことが時系列に関係なく思い出してこれも楽しい思い出は殆どなく自己嫌悪と言うか失敗や若気の至りが浮かんでは消えと、やっぱり歳をとってジジイになると詰まらん事を思い出すのかな(# ゚Д゚)。

 子供の頃と言いますか戦後10年は経ってないと思いますが我が家にはお袋の親父さんが同居していまして、私ら子供たちは“じいちゃん”と呼んでいましたが、そのじいちゃんは薩摩琵琶をベンベン~ベン~と、かき鳴らして或るときは(^^♪石堂丸わあぁ~と唸ったり、ああ~吟じたり又或る時は(^^♪金剛石もみがかずば珠の光はそわざらん~んんと唸って、子供の時だから唸っていると言う気持ちの方が強いけど、そんな詰まらん事も唐突に思い出すのです!!これって何だろうねえ~

 おとうさん!!植木の剪定をしてよと女房が。

 73歳のジジイになるとイマイチ体力の衰えを感じそして植木ハサミでチマチマやる根気も衰えているものですからホームセンターで電動バリカンなる道具を買ってきました。

 何でも道具ですなあ~

 選んだ道具がメーカー品の“マキタ”意外と安い!税込み1万3千円ほどだったので躊躇せずに購入したのですが、よく見るとmade inChinaです、成程ねえ~と言うかヤッパリなあ~

 やっぱり道具だなあ~短時間で四角そして丸く格好よく仕上がりました。

 農事組合法人さんの忘年会ですが疫病コロナのせいで中止とせざるを得ない状況なんですが、まあ~ご苦労さん会ぐらいはやっても・・どうなりますか!??

 今日のウオーキングで、ふと!アルコールを買おうと善通寺市街地にある「おしゃべり広場」でダイシモチ麦を使った焼酎と第11師団所縁の吟醸酒を購入、まあ~これは次の飲み会があったらジジイのおごりで提供しようかと思っているのですが、どうなりますか。

 原料は我が農事組合法人が生産者の一翼を担う善通寺市産ダイシモチ麦ですが焼酎生産地としては宮崎の麦焼酎です。

 そして綾菊 吟醸 師團一

 明治31年、旧陸軍11師団と共に生まれ初代師団長「乃木希典」に絶賛された清酒  師團一( ^ω^)・・と能書きがあります。

 香川県産米オオセト100%、このオオセトですが我が農事組合法人さんでも2年前までは作付けしていましたが昨年からは食用米“あきさかり”に替わっています。

 さあ2020年もクリスマス(老夫婦の家では関係ありませんが)そして大晦日を迎える年末になってしまいました。

 今年も何とか無事に過ごすことが出来ました、先ずは感謝!そして来年は1月早々に人間ドックを受けまして2021年のスタートになります、2021年は疫病コロナ退散を願い良い年になります様に( ^ω^)・・ですね、皆様も良い新年を迎えられます様に。

 2021年も詰まらん自己満足ブログを飽きずにアップしますので“さくらじい残日録”を見てやって下さいませ。








2020年12月12日土曜日

1/10金属ゼロ オリジナル金属ゼロの改修 胴体編 後部

 12月も半ばとなって(^^♪ジングルベルや大晦日の足音が聞こえだし毎日が日曜日のジジイでもヤラネバならぬ雑用!!いや家事業務があるものですから趣味工作も早めに工作納めをしなければとチョット早いのですが趣味ブログの公開をする事にしました。

 そんな訳で内容の乏しさはご勘弁下さいませ・・決して手抜きではないのです。

 さくらじい航空機製作所は工場の掃除を済ませて仕事納めです。


 今回も百聞は一見に如かずと申しますからナンチャッテ動画で進捗報告です。


 前回のブログでコクピットと操縦稈の予告をしましたが何はともあれ先ずは不具合改修が優先と考え直して胴体にある操縦装置(ラダー・エレベータ・尾輪)の不具合改修作業から実施する事にしました。


 胴体の前部と後部を分離して外板をバリバリと剥がすことから作業を開始です。



 作業の途中経過は改修工事と言うことで割愛しますが、この写真は今回の手直し作業後のサーボとリトラクターの配置です。

 下に在るのがラダー、左に在るのがエレベータそして中央奥に在るのが尾輪用のリトラクターです。


 ラダー用サーボですが取り付け後の高さ修正のためにミニサーボからマイクロサーボに取り換え市販のロッドとワイヤーの混在駆動としています。

 エレベータについても市販のロッドとワイヤーの混在駆動としています、シンプル構造にして信頼性を向上させたいのですが如何せん駆動稈がそうなってないのとスペースが狭い事もあって最後はワイヤーにより駆動とせざるを得ないと判断した次第です。

 尾輪についてはピアノ線によるダイレクトな動きをさせましたが今回は油圧もどきと言いますか真鍮パイプによるピストンを作ってオレオ風に改造しました。

 ドライブはリトラクターを用いてフレキシブルロットによりピストンを押す構造に変更しています。

 ラダーの羽布張りは綿の布を張ってみました。



 百均で買った綿の“はぎれ”( ,,`・ω・´)ンンン? 200円だったのか。


 2021年は胴体後部の外板を張って前部胴体からですね。


 2020年お付き合い有難うございました、2021年も飽きずに頑張って続きの工作をして参りますので引き続き宜しくお願い致します。

 では来年はコロナ風も収まって良い年となります様に、ごきげんよう( ^ω^)・・・

2020年11月28日土曜日

さくらじい残日録 11月号 Go To トラベル episode 2

 Go To トラベル episode 2 は 愛媛県愛南町は南レクに在る紫電改展示館の見学と松山道後温泉1泊そして松山城のお話しです。 

 宇和島で昔お世話になったディーラーさん・・勿論、今はリタイアしていています・・との楽しい会食をして静かに盛り上がって一夜明けての二日目、当初は佐多岬の方へ行こうと予定していたのですが、さくらじいの我儘でチョット遠いのですが紫電改を観に行く事に変更。

 先に位置関係にイメージが湧かないと思いますので地図を添付します、そう宇和島からは小一時間の距離でしょうか。


 愛南町、ここはもう瀬戸内海ではなく黒潮の流れ込む太平洋に近く鯛などの養殖で有名ですね、海がきれいで夏は水中公園があって一度来たことがありますが当時はまだ紫電改が海底に眠っている何て誰も知らなかった頃の大昔です。

 やあ~遠くて来る事はないと思っていたのに中ちゃんの御蔭で来ることができて感謝です。

 入館は無料!確か愛媛県の出資だと思うのですが当時の事を考えると納得です。

 眼前に化粧されて日の丸を抱えた紫電改が鎮座しています・・おお~!


 搭乗していたパイロットはハッキリしていないらしい、だいぶ前に聞いた記憶では松山飛行場から米軍飛行機の迎撃に飛び立った紫電改であったと。


 上記説明文で知っておくべきだと思う部分の抜粋を念のために書き写しました。

 

 この紫電改は南宇和郡城辺町久良(ひさよし)長崎鼻約二百メートルの海底四十メートルのところに眠っていたが昭和五十三年十一月、城辺マリンクラブによって確認された。

 愛媛県は機体を引き揚げ、慰霊の誠を捧げ、恒久平和を祈念することとした。

 独特の空戦フラップを駆使できる海軍航空の掉尾(ちょうび)を飾る優秀な戦闘機であった。

 この紫電改は、旧第三四三海軍航空隊に配属され昭和二十年七月、豊後水道上空で交戦したなかの一機であると言われている。

 私事になりますが1977年~1985年の約8年を松山市の事務所で勤務しておりまして当時は松山空港周辺も社有車で移動していて近くの掩体壕(えんたいごう)も目にしておりました。

 松山空港近くに在る掩体壕(戦闘機の格納庫)ですが松山空港に着いた本社の偉いさんを社有車で迎えに行った時などに案内した記憶があります。

 当時は近隣住民の倉庫代わりになっていた様ですが今でも現存しているのか分かりませんが。

 松山海軍航空隊についてWikipedia では日本海軍の部隊・教育機関の一つ。 

 一挙に増加した予科練甲飛第13・14期の生徒を教育するために新設された予科練教育航空隊である。

  松山と言えば、源田実司令率いる第三四三海軍航空隊の印象が強いが、北側の予科練「松山海軍航空隊」と南側の飛行場である「松山海軍航空基地」は完全に別個の施設で、しばしば誤って混同される事が多いと記述されています。

 この空襲にも耐えうるであろう掩体壕は極地戦闘機である紫電改を守ための格納庫であると思うのですがね。

 話はそれましたが紫電改展示館に戻って、いっ!やあ~プロペラの曲がり方から海面に突っ込んだであろう紫電改を観て感動と言うか何故か目頭が熱くなってくるのです。

話が長くなってしまいます、もう少し居たかったのですが時間もないので中ちゃんに記念の写真を撮ってもらって展示館を後にしました。

兎に角、海の景色が素晴らしいです。


 オープン当時にはロープウエイも在った様ですが今では廃止されて、まあ~人間って飽きっぽいからなあ~・・今日も観光客は私たちを含めてもポツリですからね、蜜なんて程遠いです。

 昼前には南レクを後にして一路、内子に美味しそうな蕎麦屋さんがあったので、昼飯にそばを食べよう。

 天ぷらそばを注文したら暖かい蕎麦と天婦羅が別々に、おお~・・見た目も味も格別で美味かったです。

 そうして早めに着くのが良い・・何せ中ちゃんも高齢者の入り口ですから夜間の移動は危なくなってきたそうで15時頃に松山市が見えてきました。

 松山に建てたさくらじいさんの家がどうなっているか見に行こうと遠回りしてくれまして。

 ええ~と・・周りはだいぶ変わっているのに意外と分かるものですねえ、あっ!ここだ、懐かしい家が未だありました、1983年頃だったと思うので今では築37年か、大事に使っているのでしょうね、外観は綺麗でした。

 丁度34歳頃だったのでしょうか月日の経つのは速いもんですなあ~、男子、家は30歳台で建てなきゃあ建てれんぞ・・と先人が言っていたのを真に受けて25年ローンで建てた松山の家でしたが正解でしたね、最後はこの家を売って実家の畑に今の家を建てたのですから、松山の家がなかったら今の家を建てる事が出来たかどうか分かりませんです。

 16時頃に道後のホテルに到着です。

 先ずは、ひとっ風呂浴び部屋に戻って缶ビールをプシューと開けて暫くユックリしてから夕食会場へ、爺さんにはこの程度が良いねえ~昔は何せ料理が多すぎて食べきれない。

 量は少なくて良いから美味いものを、と言うのが73歳となったジジイの希望です。

 流石にお互い高齢者ですから昔みたいに大酒飲みにはなりませんね、料理は美味かったので完食です、チョット血糖値が心配ですが特別の日と言う事でご勘弁です。

 この膳も本当は三つ並んでいたはずなのですが、そう“しげ爺”が居ない寂しい事です。

 GoToトラベルの御蔭でしょうか道後温泉のホテルは何処も満室で我々が泊まったホテルも辛うじてツインベットの部屋がとれたくらいです。

 修学旅行の学生も居ましたがコロナ感染予防対策は万全で食事会場も密にはならず静かな会食を皆さん実践されていました、日本人って凄いです。

 道後温泉の町を歩く観光客は意外と少ないなあ~と言う印象でした、皆さん考えているんだね。

 これは!??・・坊ちゃん列車の名阪ですが外車なのかなあ~

 今でも松山市内の路面電車として走っていますが蒸気機関車の後ろに連結されている客車もどきの電車に押される形ですかね。

 道後温泉駅ですが、さて利用する人が何人いるのだろう、観光客の皆さんもバスや自家用そしてタクシー利用だろうからなあ~

 そして定番の松山城へ、何時も乍らに立派です、姫路にも負けんと思う。


 中ちゃんは、このアングルが好きだと言います。


 誰もが認める城マニアの春風亭昇太さんが“この石垣は良い”と絶賛したとか!?

 こっちかもしれません!??

 そうして今回は二の丸御殿跡を観てきました、松山城を何回も観に行ったのに初めてなんです、行く先々で体温チェック、ここでも体温を測ってアルコール消毒そして記名。

 ここは殿様が生活した御殿跡ですね、こんなに広いんだあ~大奥もあったのかな??

 展示スペースに模型がありました。

 

 御殿跡から本丸を見上げると、こんな感じ・・殿様も本丸に行くのは大変だあ~


 御殿跡の庭にある楓も紅葉していて中ちゃんがスマホでパチリ

 兎に角、良い天気に恵まれたGoToトラベルでした人も少なかったし、二の丸御殿跡から空を見上げると、おお~本丸の上空には一朶の雲が

 さて堪能しました、昼前に松山城を後にしてJR松山駅で中ちゃんとお別れです。


 昼頃の特急しおかぜに乗車して帰路につきました・・新しい車両です。


 この日はカツサンドと缶ビール500㎖を買って乗車、これが好きなんだなあ~。


 麦蒔きも、うどん用小麦“さぬきのゆめ2009”猫の手アルバイトが終わったのは25日でした若干の田圃が残ったのですがジジイですからオーバーワーク、無理を言ってパスさせて頂きました。


 家の裏にある“うどん用小麦”を蒔いた田圃に朝日が射しています・・今年の猫の手アルバイトは終了です。

 ┐(´∀`)┌ヤレヤレでございます。

 先に蒔いたダイシモチ麦はもう目を出して目立ってきました、速いもんですなあ。


 GoToトラベルから帰宅して今日で17日になります、現在の体温は平熱で体調も良し、そうだよねえ~ガラガラの田舎でしたから三密なんてありませんし宇和島での会食も静かに鯛めしをいただきましたし観光のいたるところで体温測定とアルコール消毒でしたから”大丈夫”( ^ω^)・・・の自信はありましたです。。

 では次回までご機嫌よう