2013年12月6日金曜日

模型趣味 目から鱗ってこう言う事?

 過日のNHKプロフェッショナル仕事の流儀スペシャル 宮崎 駿の仕事を観ていましたら宮崎さんが“面倒くさい”を連発しながら仕事をしています。
 そして確か“満足する仕事をしようとすると面倒くさいんだよね!と言う。
 ん、成る程!何か解る様な気がしました、宮崎さんと私とでは次元が違います例える事すら失礼極まりないのですが私も、模型を作りながら面倒くさいな~と何時も思っているのです、この面倒くさいと思う自分の心と戦って勝利しないと満足いく作品はできないのですね。
 目から鱗とは!この場合も目から鱗?こう言う事を言うのでしょうか。
 回想 やりたかった模型趣味を書いてきましたが毎回作る度に“面倒くさい”と思うのです。
この、やりたかった模型趣味も「鳳凰堂」「金属製本格スケールモデル 零戦」と続いたところで週間頒布模型を終了そしてプラモデルへと移行していきます。

その経緯は今後のブログに記載していくつもりなのですが所謂キットによる模型製作を卒業し、いや本当は資金の捻出が困難になってきたからなのですがね、現在は金属製零戦に感化されて無謀にも1/10金属製零戦を全て自作しラジコンとして飛ばしてみようと思い立ちホームセンターで購入したアルミ板を素材にして切り出し右翼から作り始めました。



ラジコンで飛ばそうと言うのですから翼内燃料タンクなんていらないのですが無いとやっぱり格好悪いし、と言う事でダミーの燃料槽まで作って取り付けてみる。
フラップも補助翼もリブの1個から切り出してヤスリがけ、そして組み立てる、これは面倒くさい!の何物でもない“ようやるよ”と自分でも思っている。






プロペラも作れるかな~と作ってみる。


 
 面倒くさい!面倒くさいと思いながら作る。
 なんだろうね、自分でも解らなかったのですがアニメの巨匠も“面倒くさい”と戦いながらヒット作品を生み出していたなんて。
 目から鱗、齢66歳の爺になって面倒くさい、の克服が次の満足を生み出すんだな~と知る事になりました。

 この1/10オリジナル金属零戦ですが模型趣味の回想を終了してから爺の無謀な挑戦としてブログで紹介させて頂きます。
 途中での挫折も覚悟のうえですが如何あいなりますでしょうか。

 因みに、機械設計の仕事をしていた知人に”アルミで零戦を作ってラジコンで飛ばそうと思うんだけど”と言ったら一言。

 ”飛ばないでしょうね!!とは、じじいの浅はかさ、でもやってみる価値はある?

2013年12月5日木曜日

平等院 鳳凰堂 回想 やりたかった模型趣味 ⑥

作品⑨  1/75作品
製作期間 2009年1月~2009年6月
製作年月 6ヶ月
国宝 平等院 鳳凰堂 
精密 木製建築模型 レザーカット加工
メーカー (株)ウッディジョー Woody JOE
価格   頂き物につき不明
     60歳定年記念 有り難うございます。

 58歳で役職定年となり広島から高松営業所勤務となった訳ですが60歳定年を迎えた2007年10月に高松営業所他の方々から模型好きの櫻田さんへと頂いたのが作品⑨となった国宝 平等院 鳳凰堂の木製模型キットでした。
 このキットの化粧箱と部品梱包状況は以下写真の通りですがレザーカット加工による部品はプラモデルとは一線を画した精密で完成時の重厚感に期待できる高級模型でした。


 化粧箱と化粧箱の完成写真です。



 レザーカット加工された木製部品は番号と品名が記された紙と一緒にビニール袋にいれ小分けされており、製作説明書の指示に従って組み立てていく様になっています。



中央の中堂から製作です。





如何でしょうか、鳳凰堂は平安時代の寝殿造りと説明されていますが、この様な建築の模型を作り始めたせいか日々のウオーキングで善通寺の境内を通ると金堂や御影堂などを観る視線が変わってきた自分に気が付きます。

         中堂です。



         翼廊(左)ですが同様に右の翼廊も製作します。



         竣工写真です。





 平安時代後期、天喜元年(1053)に、時の関白藤原頼通によって平等院に建立された阿弥陀堂です。

  塗装をしたい欲求に駆られるのですが、下手に塗ると元には戻りませんので敢えてリスクを回避して白木のままとしました。











2013年12月3日火曜日

懐かしい寝台特急に乗る

 昭和45年入社。
 戦後まもなく生まれた団塊世代が社会人として一端のサラリーマンとなった時代には長距離の出張となると決まって夜行寝台列車でした。特急だったのか急行だったのか、よく覚えていない。
 あれから40年も経過し既に退職して1年も過ぎた頃に、そんな懐かしい夜行寝台列車に乗ろうとは!そうですよね~新幹線が走り瀬戸大橋が開通し、ましてや飛行機にも気軽に乗れる様になった今では夜行寝台列車なんて思いも寄らない事でした。
 くそ暑かった夏の余韻が残る10月の初め頃でしょうか“社友の皆様に親しくご懇談いただきたく”と社友会の案内が届き・・うっう~ん東京だからな~、旅費がな~、女房が許さんだろうな~と諦めるしかないかと思ったとき、ん!待てよ、そうだアルバイトの給料があるじゃないか!
 丁度この頃、JR九州の豪華寝台特急「七つ星」のニュースが流れていて女房が、帰りは寝台特急で帰って来たら、と言う。
 時間表をみると東京~高松間を「サンライズエキスプレス」と言う夜行寝台特急が走っている。
 早速、JRにチケットを買いに行くと、お客さんシングル個室にしますかノビノビ座席
にしますか?と言われ、恐る恐るシングル個室って幾らですかと聞くと1万5百円!!
 え~何とビジネスホテル1泊と変わらないではないですか。
 もう迷う事無く決定。寝台特急で個室なんて考えられなかった、そんな世の中になっていたのですね。
 そうか、七つ星とはいかないけれども0.07つ☆だ! ワクワク!!

 サンライズエキスプレス瀬戸(出雲とも連結されていて岡山で切り離し)
 東京→高松(高松→東京)
 出発 22時00分
 入線 東京駅 東海道本線 9番線  
東京駅に着いて田舎者には判り難く駅員に尋ねました、余裕をもって!が肝心
 路線 東海道本線→山陽本線→宇野線→本四備讃線(瀬戸大橋)→予讃線
 会社 JR東日本 JR東海 JR西日本 JR四国
 料金 Bシングル個室で¥21,510.
 到着 07時27分


 同時刻で高松→東京の上りもあり今後、これも利用したら良いかもしれない。
 
 遅れない様にと1時間早めに東京駅に到着、土産を買っても時間はいっぱい。

 東京駅の9番線ホーム 21時48分に入線。 結構ギリギリだな~



 車両には個室のシングル、デラックスシングル、ツイン等いろいろある様ですが私が
乗車したのはBSと言う一人用B個室寝台 シングル2階式だと思う。

 乗車口から入った車内の様子で直ぐに1階と2階の階段がある。



 階段を上り2階へ、予約のB個室寝台27番のドアを開ける。



 スペースは畳1枚強と言ったところでしょうか、着替えの寝間着が準備されてある。
 まっ、Bだから、こんなものでしょう、Aのデラックスだともっと広いのでしょう。

 それでも大イビキの人間にとっては個室、最高!ですね。



 翌朝の児島駅。


 瀬戸大橋を渡ればもうすぐ下車。

 善通寺ですから高松まで行ったら遠回り、瀬戸大橋を渡って直ぐの坂出で下車し
 土讃線は高知行きの特急に乗車して帰宅です。

 寝坊しないか!ちょっと心配でしたね。



 今度は爺さん婆さんの夫婦で車中泊と洒落込んでも良いか!
 その場合は個室ツイン。やっぱりデラックスは無理かな。

 そう言えば新婚旅行で上野から十和田に行ったときも夜行寝台特急だったな~、
 結婚式の2次会後で酔っぱらっていたから情緒も何も・・気が付いたら朝だった。


2013年11月3日日曜日

蒸気機関車 C62-2 やりたかった模型趣味⑤

『回想 やりたかった模型趣味⑤』
作品⑧ 1/24作品
製作期間 2007年9月~2009年8月
製作年月 2年
蒸気機関車(DeAGOSTINI・蒸気機関車 C62を作る)
創刊号    2007年9月18日
最終100号 2009年8月25日
全100号
定価 1,890円/週
 株式会社ディアゴスティーニ・ジャパン1/24蒸気機関車C62-2。
博物館等で観る模型はミュージアムモデルと言うのだそうだがプロの製作による模型の一つに真鍮素材で作られた模型がありその重厚感は子供の頃から憧れの模型であった。
それがTVのコマーシャルで金色に光った真鍮色の蒸気機関車C62が映し出され週間購読模型として発売される。
まあ驚きましたね、躊躇せずに購読開始したのは当然の成り行きでした。
キャッチフレーズは
あの雄姿が真鍮素材主体の精密金属モデルでよみがえる!
ファインスケールの24分の1ハイグレードモデル
憧れのC62モデル
 週間購読模型の良さは小遣いの積み重ねと最小限の製作時間の組み合わせで大型の精密な模型を作り上げる事が出来る。

トータルでは約20万円の模型と言う事になるのです。


 お恥ずかしい話ですが、この真鍮素材C62を作る事で真鍮(黄銅)の英名がブラスであり、ああ~あのブラス・バンドはこう言う意味だったのかと初めて知りました。
 ちょっと調べてみると。
 黄銅(真鍮)brass 銅Cuと亜鉛Znの合金で特に亜鉛が20%以上のもの。
 金管楽器の別名であるブラス(brass)は黄銅の英名に由来している。
 因みに青銅は銅と錫の合金であり白銅は銅とニッケルの合金。
 創刊号の金色に光る煙室扉、煙室カバー前縁そしてナンバープレートを見て益々、製作意欲が沸く思いでした。
  煙室、煙突、動輪




先台車と動輪のある後台車にエンジンシリンダ、フロントパネル、煙室が乗る。


ドームとボイラーを取り付ける。


火室の取り付け。


ランニングボードとキャブ(運転室)の取り付け、とこの様な手順で製作されていくのですが写真枚数が多くなりますので以降については完成写真で紹介します。


 このキットはスイッチ操作により動輪の駆動、ヘッドライトの点灯、走行音そして汽笛が吹聴される機能があり、火室にセッティングされたモーターにより動輪を動かす様になっています。


テンダー車を牽引した左側面



右側面を前方斜めから



煙室の内部と
 正面から。 特急つばめ 国鉄スワローズですね。

 今も元気な金田さんです。

過日の日曜日でしたがTVで張本さんと一緒に喝!を入れていました。


と言う事で憧れの真鍮製蒸気機関車模型、本当は瞬間接着剤じゃなくてロウ付けによる組み立てをしたい願望もあるのですが。
石炭を炊いて煙りと蒸気を出しピストンを動かして走らせる!そんな模型が作れたらと思いますが如何せん金も技術も中途半端、これが限界ですね。
それでも、これ程の模型を作れるのもサラリーマン小遣いでやれる週間頒布模型の良さでしょうか。




突発性血小板減少紫斑病の診断から

 会社のOB会事務局から同会員の訃報メールが届き、ええ~あの人が!と驚き、逝去された理由は解りませんが67歳とは、新入社員当時よく酒を呑みながら人生の指導をしてくださった先輩、明日は我が身と過去、自分に降りかかった病が頭を過ぎりました。
 役職定年となって高松営業所勤務になり半年も過ぎた2006年12月、血糖値の経過観察で通院している医院での検査で血糖値と合わせて測定される血液検査のうち血小板数が5.1×10μL(基準値 14~34×10μL)と基準値を大きく下回る結果がでて、こりゃあ!ヤバイ!と急遽、総合病院での精密検査を受ける事になってしまいました。

 あれから6年と9ヶ月、血小板数その後の経過観察と現在の測定結果は下記データの通りで直近の値は15.6×10μLと取り敢えず正常値まで戻っているのですが、この血小板減少は急性白血病も疑われると医師から聞き、あの時は俺もこれで浮き世とお別れかも~なんて鳥肌がたったのを思い出します。


 このデータで1991年から2005年は年1回の健康診断値であり2006年は発症年で2007年から2012年までは12ヶ月の平均を、そして13年1月からは毎月の測定値となっています。
 このデータを見ると2005年に8.4×10μLと低い値であったのにも拘わらず健康診断では再検査などの指摘を受けていなかったは何故だろうと、ちょっと考えてしまいますね。
 発症した2006年の精密検査では髄液の採取による101項目に及ぶ検査がおこなわれた結果、急性白血病の疑いは排除され、取り敢えずはホッと一息。
 しかし診断された病名は『突発性血小板減少性紫斑病』この病気は原因がハッキリしていない難病で特定疾患であると医師から説明がありました。
 最近のニュースによると血小板を増やす薬が開発されたと言った朗報もありますが当時は治療薬も無く又、原因の一つとしては脾臓が血小板を破壊する病気でもあり、その場合は脾臓を手術により摘出することもある、と怖い話を聞き正に我がボロ船、浮かんだり沈んだりの荒波にもまれての最悪状態、そんな暗雲の隙間から“最近の学会報告でピロリが悪さをしていると言う報告がある”と先生から一筋の光明が。
 早速、ヘリコバクター・ピロリを血液検査で調べると想定通りの陽性、胃ガンの原因菌とも言われているこのヘリコプターがローターを回転させる様に鞭毛を回転させて動き回るピロリ菌は私の様な戦後間もなく生まれた団塊世代のジジイは不衛生な井戸水から殆ど感染している菌で我々団塊世代は何となく知っている菌でしたが。
 陽性と結果が出たなら躊躇せず即、除菌と言う訳で10日間くらいでしたか医師の指導を真面目に守り飲み薬による治療を続け呼気(血液検査では再検出来ない)による検査で陰性を確認しました。
 除菌後の経過は2007年1月5日(5.8×10μL)3月30日(7.0×10μL)と上昇傾向がみられた事から以降は総合病院から医院に切り替えて経過観察を行いデータの様な推移で現在に至っています。

 因みに血液の本を見ると血小板数の基準値は1ミリ立方メートル中に、15万から35万個。
 一般に1ミリ立方メートルのうち、血小板数が5万個以下になると血が止まり難くなり、2万個以下だと自然に鼻や歯ぐきからの出血が起こりやすくなったり、皮下に紫斑と呼ばれるアザが出やすくなったりする。
 と記述されています。

 いや~今回の事だけではありませんが我が人生、大小あっても紙一重の繰り返し、神仏を信ずるならば感謝しなければなりません。
 しかし一難去って又一難、我がボロ船に降りかかる難儀は止まる事を知らぬのか~、と次なる難儀が降りかかるのですがその報告は又の機会に致しましょう。
 あっ!結果は命に関わる病にはなりませんでしたので、ご安心の程を。

2013年10月8日火曜日

戦艦大和 『回想 やりたかった模型趣味④』

作品⑤ 1/250作品
製作期間 2005年9月~2008年3月
製作期間2年6ヶ月
戦艦 大和 (DeAGOSTINI・戦艦大和を作る)
定価 1,190円/週
創刊号    2005年9月27日 
最終90号  2007年6月26日
 2005年は広島に転勤して1年と5ヶ月の時期で創刊号は本屋で入手したが以降については仕事の忙しさもあり年間購読による宅配に切り替えての製作になりました。
 『圧倒的なスケールと重厚な存在感の戦艦大和がその姿を現す』
船体が木製パーツ、艦橋や砲塔部分等の艤装には金属パーツを採用しているため、他のキットにはない、実物さながらの重厚感を再現することができる。
 と言うキャッチフレーズなのですが。
 模型好きな人なら誰もが作りたい!と言う衝動に駆られる大型で精密な本格模型です、しかし金属パーツと言う錫の合金であるホワイトメタルや真鍮を使っていることで、その接着や塗装には満足する強度や仕上がりにならず模型作りの未熟さを思い知る事になった作品です。
 失敗を繰り返した工程の精密模型、同様の半金属模型製作の機会があれば完璧に仕上げられるぞ!と言ってはみても全長1mもある模型を何隻も置けないし、また女房に“あんたが死んだらどうするの!と言われてしまいそうです。

          完成して玄関に飾られた戦艦大和

 
 週間頒布模型はユーザーを飽きさせる事無く長く最後まで続けて貰いたいと言う営業戦略からか、この模型でも木製の船体と金属製の艦橋や砲塔等を平行して作る作戦がとられています。
          2006年4月 (27号)

   
 金属パーツの艦橋部分はこの様に、隙間はパテで埋め瞬間接着剤による固定。


2006年12月の63号ぐらいで船体が完成、進水と言ったところでしょうか。
2006年3月で役職定年を迎え、この頃は広島から高松に転勤し終焉の地として決めた現在の善通寺にある自宅での製作となっています。


平行して製作される艦橋、砲塔等の仮組状態です。


 進水を終えた大和はどんどん艤装が施されて行きます。
 この様に金属パーツで作られた艦橋や砲塔にはメタルプライマーを塗り呉海軍工廠色を上塗りしているのですが塗装については甚だ不満足な強度となっています。


 艤装の塗装も終えて定位置へ固定、位置は図面で指示されています。


 最終号(90号)は2007年6月ですが広島からの転勤や引っ越しで進捗に支障をきたし2008年3月の約9ヶ月遅れの完成(竣工)となっています。


第一、第二主砲塔から艦橋を望む。


艦橋を側面から


艦尾の方向から


 こんな感じの出来ですが、写真に撮るとそれなりに良く出来ている様に写ります。
 実物を見たら随所に失敗の不細工さが直ぐに判ってしまいます。
 これはディスプレイモデルですから良いのですが水に浮かべられない程のトップヘビーは当然ですね。
 広島に在る大和ミュージアムに行きましたが、凄い!!。
 必見です。



2013年10月2日水曜日

アルバイトと武道館

 高齢者雇用を満期で退職した会社から手伝って欲しいと依頼があってのアルバイト、退職し約10ヶ月、毎日が日曜日の自由人で過ごした体が起床5時30分で片道2時間の通勤が出来るのか!そんな心配をかき消す様に武道館にも行けるな~と、そんな思いもプラスされて引き受けたのでした。
 今日はアルバイトの話はさておき高松に赴任した時からの行きつけ居酒屋についてお話しましょう。
 38歳で2度目の高松勤務になり9年それから大阪、広島と転勤して離れた期間があったものの65歳の爺になるまでの27年間、暖簾を右手でひょいと上げて入った居酒屋。

 高松は琴平電鉄の栗林駅から踏切を渡った左側に 居酒屋 武道館 がある。
 ここは10人ほどが座れるカウンターと4人がけのテーブルが一つ、そして奥まったところに四畳半ほどの座敷があり黒板に書かれた今日のお薦めメニューそして常メニューの焼き鳥、焼きそば、焼きうどん、他と盛り沢山の品数を揃えたサラリーマンの息抜きにはもってこいのお店で冬場はおでんがメニューに追加される。
 その店を切り盛りするのはママの松村節子さん、お歳は・・まっ、この年数ですからご想像にお任せですが美人のママで旦那様は、もう何年前になるのでしょうか鬼籍に入られ、それからは細腕繁盛記を地でいくママさんですが今は、これまた若くて美人の丸ちゃんが手伝ってくれています。

               『居酒屋 武道館

『武道館』と言うお店の由来についてはハッキリと聞いた訳ではなく旦那様が武道家であったからと思いこんでいるのですが以前はヌンチャク等も飾っていた様な、当時、カウンターの中から武道家のご主人が、お客さん“骨酒飲みませんか”と薦められた事を思い出します。
38~40歳代、兎に角、仲間とよく飲みました、愚痴もこぼしましたし気勢も上げ論争もした馴染みの居酒屋です。
58歳で役職定年になり高松営業所に戻ってからも65歳で退職するまでの7年間、暖簾を右手で上げてカウンター席の一番奥に座り生ビールとカウンターの上に置いてある作り置きの総菜を注文してグビグビとビールを飲む、長かったサラリーマン人生、何が良いって、これが良いんだよね~。
私は一人で飲むのはあまり好きではなく大体が事務所の仲間と飲むのが常なのですが定時での業務終了は嘱託の爺だけで現役はどうやっても7時過ぎ、皆を待つ2時間で爺は出来上がってしまう、それから一人また一人とやってきて話が盛り上がって更に飲む、そして10時になって、お先にと終電の1本前で帰宅する、このパターンなものですからだいたい翌日は決まって二日酔い気味になってしまいます。
退職してから10ヶ月、善通寺~栗林公園駅までの電車賃は¥590.ですから琴平からのJRが無くなると家まではヘイ!タクシーと言うことになってタクシー代が約¥1700.つまり交通費だけで¥3000.は掛かるし又、女房に高松まで飲みに行くとも言い出せず今回のアルバイトは渡りに船となった訳です。
 善通寺にも飲み屋はあり自治会の人と年に3回ほど行くのですが所謂一見さんですから通算27年間の『武道館』とは趣も異なるのは当然ですね。
 ちょっと早く切り上げて琴平発のJRに間に合えば¥210.で済みますがJR琴平駅は乗客も少なくガランとしたホームに酔っぱらった自分の影が一つ、まだ10時と言うのに何とも寂しい。


ローカルなんですね~

2013年9月3日火曜日

『回想 やりたかった模型趣味③』

作品④ 1/48作品    
2004年6月創刊~2004年12月(頒布会社倒産につき一時中止)
竣工は2008年11月
定価 980円/週
2008年3月より再開
全96号として購読開始し25号が頒布されたが、その2004年12月を最後にして2005年早々、頒布会社であるdelrado Japanは倒産して販売中止となった。
こんな事があるのかと驚きはしたものの未完成の帆船オブジェとして飾るしかないかと諦めていたが、それから半年も過ぎたころになって債権引受会社の㈲トライフィールドが残り部品と製作説明書の一括頒布がなされるとの案内があり残一括頒布価格 49,390.と高額であったが、このまま未完成帆船オブジェとするには惜しいなと一括購入して2008年の11月に完成、竣工する事ができた。
 全く!奇跡に近いかも。

 こんな未完成状態で帆船模型オブジェになるところでした。




 この頃にディアゴスティーニから戦艦大和が頒布され、平行製作になっていくのですがその報告は後日の回想④でお話しましょう。




 それからは一括購入部品を入手して製作、週一製作と言うリズムではなくなったものの何とか休日のみの製作で竣工に漕ぎ付く事ができました。





 竣工写真です。





頒布会社の倒産で一時は完成を諦めたバウンティー号ですがラッキーにも引き受け会社が残りの部品を販売してくれましたので竣工まで、それこそ漕ぎ着けたのでした。
 その後、会社の後輩が家を建てそのお祝いに贈呈をさせて頂きました。
 ど素人の拙い作品ですが新築の玄関に飾って頂けた事で幸栄を祈念する贈り物ができました。