2013年9月3日火曜日

『回想 やりたかった模型趣味③』

作品④ 1/48作品    
2004年6月創刊~2004年12月(頒布会社倒産につき一時中止)
竣工は2008年11月
定価 980円/週
2008年3月より再開
全96号として購読開始し25号が頒布されたが、その2004年12月を最後にして2005年早々、頒布会社であるdelrado Japanは倒産して販売中止となった。
こんな事があるのかと驚きはしたものの未完成の帆船オブジェとして飾るしかないかと諦めていたが、それから半年も過ぎたころになって債権引受会社の㈲トライフィールドが残り部品と製作説明書の一括頒布がなされるとの案内があり残一括頒布価格 49,390.と高額であったが、このまま未完成帆船オブジェとするには惜しいなと一括購入して2008年の11月に完成、竣工する事ができた。
 全く!奇跡に近いかも。

 こんな未完成状態で帆船模型オブジェになるところでした。




 この頃にディアゴスティーニから戦艦大和が頒布され、平行製作になっていくのですがその報告は後日の回想④でお話しましょう。




 それからは一括購入部品を入手して製作、週一製作と言うリズムではなくなったものの何とか休日のみの製作で竣工に漕ぎ付く事ができました。





 竣工写真です。





頒布会社の倒産で一時は完成を諦めたバウンティー号ですがラッキーにも引き受け会社が残りの部品を販売してくれましたので竣工まで、それこそ漕ぎ着けたのでした。
 その後、会社の後輩が家を建てそのお祝いに贈呈をさせて頂きました。
 ど素人の拙い作品ですが新築の玄関に飾って頂けた事で幸栄を祈念する贈り物ができました。


2013年9月2日月曜日

『腰痛双六・・振り出しに戻る』

私が、そう俗に言う“ギックリ腰”を初めて体験したのは厄年のど真ん中42歳頃でしたか、或る展示会が終了し我が社の商品を展示ブースから引き上げようと持ち上げたら腰に電気が走って動けない!当然のこと翌日からは動けず会社は休み床の中と相成ってしまいました、痛くてたまらず近くの整形外科へ電話し事情を話して往診をお願いすると何と素気なく“歩いてきて下さい”の一言。
 ショウガナク女房の肩にしがみつき国道を渡って病院に行きましたが、まあ、その滑稽であったろう情景が今でも思い出してしまいます。
 その後65歳までの20年間に同じ様なギックリ腰を数回経験し今では時限爆弾と化して嫌々ながら付き合っている有様です。
最近ではスッキリする事はないものの暫くは比較的良かった腰ですが畳の間での自治会総会で不自然なあぐら姿勢が続いたせいか総会が終わってから調子が悪くなり何時もは自然治癒に任せるのですが今にもギックリ腰の再発に恐怖を感じ近くの整形外科を受診。
レントゲンを撮って診察・・・案の定、毎度のことですが特にヘルニアとかの診断もなく痛み止め・筋肉を柔らかくする薬そしてリハビリ治療の処方となりました。
今回は真面目に通院、リハビリも低周波治療、腰の牽引そしてウオーターベットによるマッサージを隔日に受診して約2ヶ月、何となく良くなってホッとしていたのですが過日、自治会の役員から今度の土曜日に「ひまわり畑の雑草抜きをやりますとの案内があり一抹の不安があったものの自治会の活動で行うひまわり畑の草取りに参加。
畑に入り座り込んで草を抜く事、そう30分ぐらいでしょうか、やっぱり腰がもたないな~と辛抱たまらず一端、畑の外へ出てウッウウ~ンと背伸びをして小休止。
他の皆さんは黙々と草を抜いている!参加メンバーの6割は70歳から80歳代のお爺さんとお婆さん、農家の人は凄いな~、サラリーマンしかやってこなかった自分には農業は無理だな~等と考えながら、さてもう一仕事、待てよ!また畑に入っての座り込み姿勢はギックリ腰の爆弾が破裂するかも!と思い抜かれた草の塊を軽トラックに乗せる作業の方が良いかもしれない。
そんな考えが大間違いでした、当然、ギックリ腰のベテラン経験者ですから最大限の注意を払い腰を据えて構えて持ち上げたつもりだったのですが“ピキッ”と音がした様な感覚が!!やばい、と思った時には後の祭りで2ヶ月続けた腰痛治療の双六も大分進んだのに悪い目を出してしまって振り出しに戻ってしまいました!
しかし、何時の頃からか歳を重ねての腰痛は困ったもので朝起きる時が最も重くてヤバイ!恐怖に囚われてしまいます、これって一生ものかもしれません。
やっぱり効果の程はまだ半信半疑ですが腰痛体操の継続しかなさそうです。

草抜き現場とひまわりの開花