2015年10月30日金曜日

薔薇の手作りアーチを市販のスチールアーチに更新 1/1大工趣味

 2009年に高さ50cmぐらいの鉢植えされたモッコウバラを友人から頂きましたので大きくなる前にと早速、実家の山に自生する竹を切り出して作った自作の薔薇アーチですが樹木の力って凄いものですね!!樹勢に負けて大きく右側に傾いてしまったのです。

 製作した竹製の薔薇アーチ(2009年3月)


  如何でしようか!?羽子板付のコンクリート礎石を4個埋設し何時もの自己満足でこれでよし!でも足元が強度不足だったのです。
 
 頂いてから3年後の2012年目の写真ですが、この時はまだ蔓径もそれほど太くなく・・・ああ~綺麗だなあ~ぐらいで何も考えていなかったのですが。


  気が付くと樹勢で右に押され気味になっているなあ~こりゃあ~イカン!と基礎部分の強化を図るべく分厚い木材を加工して手当はしたのですが・・・。


  頂いた時の鉢植えモッコウバラですが蔓径は太い幹で鉛筆の半分ぐらいでしょうか、それが1年、2年と経ち少しずつ太くなった蔓径は更に伸びて増えた蔓枝の重さも加わって2015年目には門柱を大きく右に押し倒してしまったのです。

 もはや修復は不能と言う訳でご覧の通り解体撤去



 やっぱり歳をとったせいでしょうか山の竹を切り出して・・なんて気力もなく、それならと話をした女房との予算折衝が巧くいきましたので市販のスチールアーチをホームセンターから購入して更新工事をしようとなった訳です。
実はこのスチールアーチですがホームセンターで展示されていて以前から目を付けていた商品でした。
 値札を見ると¥13,000.-、結構高いんだなあ~と、なかなか決心が・・・。
 そうして女房の許可が下りて、イザ買い物に!!意気揚々とホームセンターに行って店員に在庫を尋ねると何と!?在庫が無いと言うではありませんか。

 ぬわ~にいい~!!在庫が無いい~だとお~・・何でもそうですが、その気になった時に在庫が無いで気持ちが収まる訳がありませんマシテヤお取り寄せ・・何て言うものなら、もういい!となってしまいそうです。
 うう~ん!そんなら展示品でも良いからと言うと店員が“店長・店長とマイクを持って庭園商品売り場まで~と言って店長を呼びました。
 いそいそと店長がやって来て言います“ここの蝶番がこわれていて~
 そんなのは良いよ!売ってくれれば・・ただ、定価で買うのはチョットシンドイナア~
 店長、ポケットから電卓を取り出してパチ・パチ・パチ・・考えているふり?をして

 それなら¥9,800.-でどうでしょうか、流石!商売人です1万円をチョット切るのがミソ



 OK・・ではこれを下さい!商取引成立です。 ラッキー!!
 ・・・シメシメどうせ野外の雨ざらしとなるのですから少々の錆びや壊れているところなんて私に言わせればノープロブレム・・です。
 ええ~と約25%の値引きになります、これで基礎になるコンクリート礎石が買えるって言うものです。
 アンカーボルトも買わなければなりません、結局はホームセンターにとっては良い客だと思うのですが。
ちょっと待てよ!?案外、不良在庫が吐けた~何て!店長が舌を出しているかもしれない、はてさてラッキーだったのは店長かも!?。
 さてモッコウバラ・スチールアーチの設置工事を始めましょう。
 その前に・・直接誘引したら、この太さのモッコウバラ蔓枝でスチールアーチは潰されてしまいます、先ずは蔓枝を支える物を作らなければ失敗の二の舞です。

 羽子板付礎石を再利用して三角形に埋設しました、深さは30cm強あります。


 太くても蔓ですから支えが無いと自立せずに倒れてきます、ロープで垣根の柱に固定して先ずはスチールアーチの基礎工事から始めました。

 基礎としては穴を掘って砂利の礎石を敷き詰め木枠の中にコンクリートを流し込む、と言った手順になるのでしょう、しかしこの程度で面倒くさい事もしていられませんから市販の成型されたコンクリートブロックを使用することにしました。

 スチールアーチを支えるメインの基礎コンクリートブロック・・・道路の縁石を購入
 もう一つは殆ど荷重の掛からないアーチ底板止め用ブロック・・・側溝用の蓋を購入

  こんな感じに埋設しました。
 底板止め用のブロック(側溝の蓋)ですが以前、購入していたBOSCHのディスクグラインダーにコンクリートカッターを取り付けて“うっ!いい~んん??ガガガー”初体験ですから慎重に防塵マスク・防塵眼鏡そして鹿皮手袋をしての作業です。

 いや~!?やっぱり回転するものは怖いですね~、寸法を合して埋設。


  因みにこのBOSCH ディスクグラインターですが退職する前に購入した工具でお金のあるうちに買っておいたのは正解でしたね。
 次にインパクトドリルを使ってアンカーボルト用の穴をあけます。


 真っ直ぐ(垂直)に開けるのが難しい。

 アンカーボルトを打ち込んで。
 実は今回購入したアンカーボルトですが前回(垣根の柱固定金具止め)購入した物とは種類が違っていて最初は悩んだのですが、まあ~何とかなりました。

 ちゃんと調べて~買えばこんな事にならないんだけどもねえ~


  コンクリート基礎にスチールアーチベース板を取り付けて基礎工事の完了です。
 まあまあの出来でしょうか。


  そしてモッコウバラの太くて重い蔓を支える三角錐の木組みを製作、やっぱり三角形が一番頑丈です。


  スチールアーチのセッティングです。


  反対側からはこんな感じです。
 モッコウバラの蔓を誘引して針金で固定します。


  扉までは要らなかったのですが閉めるとこうなります。

 そうそうホームセンターの店長さんが言っていた蝶番ですが錆びてはいましたが壊れてはいませんでした。


  完成写真です。



 この写真の撮影は10月24日なのですが実は竹製のアーチが倒れたのもあるのですがもう一つモッコウバラの葉が殆ど無くなっているのに気づき、あれ~秋になると葉っぱが無くなるんだっけ??と、よお~く見ると何と!?小さい蓑虫が大量に発生して葉っぱを食いつくしていたのです。
 ひゃあ~驚いたのと気持ちの悪いのとで先ずは害虫退治をせねば!!農薬“スミチオン”1000倍液を噴霧し更に大きい蓑虫も一杯いますから枝の剪定と合わせてムシリ取っての大奮闘、そのかいもあってご覧の通り葉っぱもだいぶ増えてホッとしているところです。
 蓑虫って赤塚不二夫さんが書く可愛げのある「けむんぱす」ですよねえ~、でもあんなに大発生すると「けむんぱす」なんて言っていられませんでした。

 隣に在る梅の木の葉っぱもありません来年からはこまめに予防をしましょう。

2015年10月28日水曜日

世界遺産 高野山巡り旅

 さくらじい残日録 9月号ではプロローグと称して弘法大師生誕地 善通寺についてお話を致しましたが10月10日~12日の3連休に本編である高野山と吉野を旅してまいりました、信心と言うより呑み旅行!?・・まあ~そんなお話を致しましょう。

 昨年の伊勢旅行ブログで書いたかもしれませんがこの集まりは現役の方もいますが元会社のOB会ですから札幌・横手・東京・名古屋・広島そしてサクラジイは善通寺とバラバラなので南海電車の難波駅が旅の起点となったのです。

 広島のシゲ爺とは岡山駅で停車する新幹線車輛内で合流する為に時間を合わせた高知から来る特急南風に乗車したのですが丸亀を過ぎて瀬戸大橋に入り暫くすると列車のスピードが落ちて橋の中間ぐらいで停止してしまいました。

 業務連絡・業務連絡“運転手、至急3号車に来てください、んん?何事が!?

通常であれば車輛窓から望む瀬戸内海の景観を邪魔する様に流れる橋桁が、こんなにもクッキリ見える事はありません・・ヤバイなあ~・・不安が。



 小走りに3号車へ向かった運転手が3分ほどで戻って運転席について列車は徐々に走り出し先ずは良かった、大事ではなかった様です。
 具体的な車内放送はありませんでしたが結局5分遅れで岡山駅に着いたのでした。

 どうも!?こう言うアクシデントはサクラジイが呼ぶのかもしれんなあ~ハワイ便が機材故障で引き返したのもアメリカ東海岸旅行ではシカゴ~ボストン行の飛行機がボストン上空の気象条件悪化で飛ばなかったのも、そしてカンボジアから帰る時ベトナムでの乗継便が急遽、搭乗ゲートが変更になって走らされたり・・うんん~俺かなあ~!?

 広島から乗車したシゲ爺とは無事に新幹線車両内で合流し新大阪駅を下車して南海電車の難波駅で同行の爺さん連中と合流。

 ええ~と高野山行の電車は何番ホーム?



 

 世界遺産 高野山巡り旅の始まりです。




 丁度8人ですから椅子を向かい合わせにして先ずは一献、幹事さんが用意した常温冷酒??をプラコップに注ぎ札幌のアオ爺が持ってきたトバと・・ええ~と何だっけ?ホタテの貝柱?をつまみにして・・徐にやあ~シバラク・・皆さん元気そうで何よりの再会となりました。




               


 南海電車 特急こうや、終点の極楽橋で下車し45度と思える程の急勾配を登る高野山ケーブルに乗り換えて難波駅からトータル1時間30分、高野山駅に到着です。



 高野山駅からはバスに乗り10分程で高野山中心部に無事到着。

 今宵お世話になる宿坊の福智院は??案内板を見て、こっち・こっち。




 ここが高野山別格本山「福智院」の山門です、両脇には“阿吽の仁王じゃあないなあ鬼みたいに見えるけど??



 
 
 15時にチェックイン?そしてここが宿坊のフロントになります。


 この宿坊では会食後に写経をして明日の早朝には本堂でお勤めをして講和を拝聴する予定となっています。



 チョット一休み、夕食は18時からと決定して先ずは旅の主目的である密教の道場 真言宗総本山 『金剛峯寺』を詣でご本尊にご挨拶をしなければ般若湯も頂けない!?と

皆さん宗派には関係なく・・と言いますか・・やはり信心深い・・日本人なんですなあ~




 金剛峯寺本堂に、靴を脱いでここから先は脱帽です、そして内部は勿論、撮影禁止です。







 インターネット検索によると総本山 金剛峯寺と言う場合、金剛峯寺だけではなく高野山全体を指す。

 高野山は一山境内地、つまり山全体が境内で金剛峯寺の所有地である。

 この境内には177ケ寺あり、そのうち52ケ寺が宿坊として詣でる方の宿を提供している。
 金堂が高野山の総本堂となっている。

 と説明されていますが詳しくはインターネットにて「金剛峯寺」を検索して下さい。

 まあ~何故!?高野山の地に密教の道場を開創されたか、その云われについても金剛峯寺のホームページで説明されています。

 ふ~むむ・・成る程!?

 金剛峯寺のお庭「幡龍庭」紅葉もこれから綺麗になるのでしょうね、本格的紅葉にはチョット早かったかでしょうか。


 庭園外のモミジもこんな感じでした。


 そしてここが金堂、高野山の総本堂になります。

 ご本尊は高村光雲作「薬師如来」が奉安されているそうですが観れませんでした。




 さて、中門を出て宿坊・福智院に・・風呂(温泉)に入って精進料理で般若湯を頂きましょう。

 これも目的の一つですからね。





  精進料理ですが美味しかったです、ボリュームも適度で67歳の爺さんには丁度良い。
  完食でした。



 勿論、般若湯ビールから始まって般若湯冷酒と・・今日は特別の日ですから糖分の過剰摂取も今宵はご容赦と致しましょう。


 面がわれている!!とクレームがつくかなあ~、でも不鮮明ですから大丈夫!?

 こんな何時もの雰囲気での夜会食となりました。

 会食が済んで部屋に戻り再び冷酒!?当然の成り行きですが写経が在りますのでセーブしたのは言うまでもありません。

 写真撮影する事は出来ませんでしたが写経場へ入り座布団のある位置に座ると机の上にはトレーシングペーパーが重ねられた般若心経と筆ペンが準備されていました。

 担当の住職から一通りの説明を聞き、イザ!筆ペンを持って透けて見える般若心経をなぞる写
経の開始です。

 部屋には、そうですねえ~20人くらいでしょうか、写経は終わった順に退出して良いと言う事で私は1時間ぐらいで書き上げての退出でした。

 何せ正座しての写経ですから我が足は長く正座に耐えられません30分に中座してトイレに!そうして半分を過ぎるころから元々下手な字がますます下手が目立ってしまうのですが・・・やっぱり修業が足りませんです。

 同行のマモッちゃん爺は毛筆のprofessionalですから丁寧に正座にも耐えられて2時間かかったと言っていました。




 翌朝は早朝6時から本堂でのお勤めに参加です。

 皆さん真面目に6時には起きて行った様ですが私は正座もアグラも苦手ですから遅れて7時前、経が終わる少し前に本堂の扉を!そお~と開けて、こっそりと座ってご本尊様に向かって手を合わせ“はんにゃあ~心経”

 講話はシッカリと拝聴させて頂きました。



 2日目、軽くビールを飲んで朝食を済ませ荷物は宿坊の福智院さんにお預けし身軽になって奥の院へバスで移動。

 奥の院への入り口です、皆さん手を清めて参拝致しましょう。







 ここから先は、ずうっと!お墓が続きます。


 大阪は浪花千恵子さんとの漫才コンビで人気のあった花菱アチャコさんの墓前!!


 へえ~!・・・・ムチャクチャでゴジャリまするがなあ~・・覚えているもんだ!?



 樹齢何百年と言う程の杉が林立する中の至る所が墓地になっています。






 んん!?織田信長さん・・本能寺で明智光秀の謀反で死んだ??

 本能寺の焼け跡を光秀が必死に探したけれど遺体はおろか骨さえも無かったと歴史では教わったけどなあ~??



 奥の院・弘法大師御廟・・と言う事は弘法大師・空海さんは善通寺でお生まれになり、ここ高野山でお亡くなりになられた。

 ここは刈萱堂で御廟は拝観していない・・今となっては??
 最初に調べていないから、こう言う事になるのですね・・








 他にも誰もが知る多くの歴史人そして大企業の墓地も多くありました。
 へえ~~と思う事しきり・・です。

 奥の院から徒歩、高野山霊宝館を見学して宿坊・福智院、荷物を持ってバスに乗車し高野山駅に。


 高野山駅からは下りのケーブルに乗って極楽橋駅、再び南海特急に乗り橋本でJR乗り換え、そして吉野口で更に近鉄に乗り換え吉野山駅に下車。




 幹事さん、ゴメンナサイ!面がわれてしまいましたが、お許し下さい。

 ここは橋本駅を下車しての駅前食道ですが高野山での昼食は人が、いい~ぱい!!いてとても食べられる状況ではなかったのです。


 13時47分・・皆さん腹を減らしての食道イン、喉が、からでしたから先ずはビールと言う訳です・・注文は?生姜焼き定食と親子丼・・美味かったですよ。




 空腹を満たしJRに乗り吉野口駅~近鉄に乗り換えて吉野山駅に下車。


 吉野山駅では宿泊温泉旅館から迎えのマイクロバスが待っていました。

吉野山温泉 「宝の家」到着16時、部屋の窓からは吉野山が一望でした。


 山の斜面、白い部分は千本桜などと呼ばれる桜ですね、サクラの季節はとても宿泊は困難かと思われる程の賑わいになるそうですが!?


 やれやれ今日も歩いたなあ~13933歩、10000歩/日のノルマ達成です。


 散策は明日にして、先ずは吉野山を観ながら温泉の野天風呂に浸かってクタビレタ足腰を癒しましょう。良いもんですなあ~極楽・極楽!?



そうして夜会食は18時~・・・シマッタ食べる前に写真を!!30分後の写真です。




 現役のミーさんが撮った宴会風景、写っているメンバーは現役を外れたジジイですから良いかなあ~何て勝手にアップ、ゴメンナサイね、幹事さんマタマタ!?スミマセン。



 なになに!長年勤めあげ会社の発展に貢献してきた功労者を自負して憚らないジジイの集まりですから何ら臆する事はない・・・ですよね。

 因みに左の手前から二番目に座る頭の光ったジジイが私こと、さくら爺でございます。
 この16日で68歳に・・・あれれ!?私が一番年上とは・・・。

 約2時間の宴会も終わり、帰った部屋での二次会は言うまでもありませんです。


 3日目の早朝、部屋の窓を開けて吉野山の空気をいっぱい取り込む・・気持ちいい。



 秋田から来たキヨッさん爺は都合により早朝に帰宅して行きました。

 ビールで喉を潤し朝食を食べ、ここでも旅館に荷物を預けて散策に出かけました。


 先ず向かったのは徒歩10分ぐらいでしょうか金峯山寺へ



 世界文化遺産 金峯山修験本宗 総本山金峯山寺(KINPU SEN-JI)

 説明書きには

 大和の国、吉野から大峯山 山ケ岳にかけての一帯を金峯山(きんぷせん)と称し修験道独特の本尊、金剛蔵王大権現を祀る。

 秘仏 金剛蔵王大権現 御開帳は10月31日~12月6日と言う事で残念ながらお顔を見て拝む事は出来ませんでした。

 因みにクドイかもしれませんが私の様な凡人には大権現などと言うと徳川家康??なんて勘違いしそうですから、チョット調べてみました。

 権現とは権(例)に現れると言う意味で、本地仏の釈迦如来(過去世)、千手観音(現在世)弥勒菩薩(未来世)が権現されて過去・現在・未来の三世にわたる衆生の救済を哲願して出現されました。

 また、金剛蔵王とは、金剛界と胎蔵界を統べると言う意味も表しています。

 左尊 弥勒菩薩   中尊 釈迦如来   右尊 千手観音菩薩・・・だそうです。




 本堂(蔵王堂 国宝) 天正19年(1592年)の建立とありました、中に入って柱を構成する原木の太さには驚かされます。




 再び10分ほど歩き向かったのは吉永神社。


 吉永院と言い元は格式の高い修験宗の僧坊が作ったが明治時代の神仏分離で吉永神社となったそうです。

 吉永院であった文治元年に兄頼朝の追手に逃れた源義経と静御前が弁慶と共に隠れ住まわれた。

 そしてここは南北朝時代に南朝の本拠(四帝御所)として南朝皇居となった。


 その住まいは修復工事中で鞘堂の様に囲われていました、見学は出来たのですが皆さんの興味がイマイチで二礼二拍手一礼をして退散。





 吉永神社を出て再び吉野山を望む・・・考える事は・・・。



  満開の桜が咲き誇る吉野山!?観たいけど無理や、なあ~



 旅館のマイクロバスで送ってもらい近鉄吉野駅に。


 高野山巡り旅の終盤です。

 チケットは大阪まで・・・です、あっ!?マモッちゃん爺は京都まで。


 幹事さん有難う良い旅でした。
 そして皆さんお疲れさまでした、どうぞ元気で来年も楽しく飲みましょう。

 と言う訳で皆さんとは近鉄の大阪で分かれ私とシゲ爺は新大阪で弁当と缶ビールを買って博多行ひかりに乗車、早いものですなあ~暫し歓談しながらの1時間弱、あっと言う間に岡山駅に到着。

シゲ爺とは、ここでお別れです。

 ほんじゃあ~元気でと土讃線は特急南風に乗車して善通寺への帰路についたのでした。

 ここで一つ最後の失敗談

 南風内では少々暑かったので娘の亭主からプレゼントされたハンチング帽を脱ぎ無造作に座席
に置いていたのですが善通寺で降りて改札を出て外に出たら何かが物足りません。

あっ!?気が付いた時には特急南風号、高知へと向かってガガガー・・(ローカルですから高知までの土讃線はディーゼルなのです)と言う音と黒い排気ガスを吐いて走り去って行きました。

 いやはや!ナンカあるんだなあ~


 帰ってきた翌日に農業法人の代表さんから稲刈りをするからモミ運びを手伝ってくれ~と依頼が・・ここは女房実家爺さんの影武者ですからご近所のお付き合い・・気持良くハイっと言って農作業に従事です。



 コンバインで刈り取ったモミを軽トラに積んで農協のカントリーエレベータに搬入する。


 他の農家も一斉に稲刈りですから!こんなにも並ぶんですよ~


 ボランティアみたいなお手伝いですが、やる!と言ったら最後まで、夕方6時の夕焼けに光る鱗雲が綺麗でした・・・秋って何か!?いい・・。