2013年10月8日火曜日

戦艦大和 『回想 やりたかった模型趣味④』

作品⑤ 1/250作品
製作期間 2005年9月~2008年3月
製作期間2年6ヶ月
戦艦 大和 (DeAGOSTINI・戦艦大和を作る)
定価 1,190円/週
創刊号    2005年9月27日 
最終90号  2007年6月26日
 2005年は広島に転勤して1年と5ヶ月の時期で創刊号は本屋で入手したが以降については仕事の忙しさもあり年間購読による宅配に切り替えての製作になりました。
 『圧倒的なスケールと重厚な存在感の戦艦大和がその姿を現す』
船体が木製パーツ、艦橋や砲塔部分等の艤装には金属パーツを採用しているため、他のキットにはない、実物さながらの重厚感を再現することができる。
 と言うキャッチフレーズなのですが。
 模型好きな人なら誰もが作りたい!と言う衝動に駆られる大型で精密な本格模型です、しかし金属パーツと言う錫の合金であるホワイトメタルや真鍮を使っていることで、その接着や塗装には満足する強度や仕上がりにならず模型作りの未熟さを思い知る事になった作品です。
 失敗を繰り返した工程の精密模型、同様の半金属模型製作の機会があれば完璧に仕上げられるぞ!と言ってはみても全長1mもある模型を何隻も置けないし、また女房に“あんたが死んだらどうするの!と言われてしまいそうです。

          完成して玄関に飾られた戦艦大和

 
 週間頒布模型はユーザーを飽きさせる事無く長く最後まで続けて貰いたいと言う営業戦略からか、この模型でも木製の船体と金属製の艦橋や砲塔等を平行して作る作戦がとられています。
          2006年4月 (27号)

   
 金属パーツの艦橋部分はこの様に、隙間はパテで埋め瞬間接着剤による固定。


2006年12月の63号ぐらいで船体が完成、進水と言ったところでしょうか。
2006年3月で役職定年を迎え、この頃は広島から高松に転勤し終焉の地として決めた現在の善通寺にある自宅での製作となっています。


平行して製作される艦橋、砲塔等の仮組状態です。


 進水を終えた大和はどんどん艤装が施されて行きます。
 この様に金属パーツで作られた艦橋や砲塔にはメタルプライマーを塗り呉海軍工廠色を上塗りしているのですが塗装については甚だ不満足な強度となっています。


 艤装の塗装も終えて定位置へ固定、位置は図面で指示されています。


 最終号(90号)は2007年6月ですが広島からの転勤や引っ越しで進捗に支障をきたし2008年3月の約9ヶ月遅れの完成(竣工)となっています。


第一、第二主砲塔から艦橋を望む。


艦橋を側面から


艦尾の方向から


 こんな感じの出来ですが、写真に撮るとそれなりに良く出来ている様に写ります。
 実物を見たら随所に失敗の不細工さが直ぐに判ってしまいます。
 これはディスプレイモデルですから良いのですが水に浮かべられない程のトップヘビーは当然ですね。
 広島に在る大和ミュージアムに行きましたが、凄い!!。
 必見です。



2013年10月2日水曜日

アルバイトと武道館

 高齢者雇用を満期で退職した会社から手伝って欲しいと依頼があってのアルバイト、退職し約10ヶ月、毎日が日曜日の自由人で過ごした体が起床5時30分で片道2時間の通勤が出来るのか!そんな心配をかき消す様に武道館にも行けるな~と、そんな思いもプラスされて引き受けたのでした。
 今日はアルバイトの話はさておき高松に赴任した時からの行きつけ居酒屋についてお話しましょう。
 38歳で2度目の高松勤務になり9年それから大阪、広島と転勤して離れた期間があったものの65歳の爺になるまでの27年間、暖簾を右手でひょいと上げて入った居酒屋。

 高松は琴平電鉄の栗林駅から踏切を渡った左側に 居酒屋 武道館 がある。
 ここは10人ほどが座れるカウンターと4人がけのテーブルが一つ、そして奥まったところに四畳半ほどの座敷があり黒板に書かれた今日のお薦めメニューそして常メニューの焼き鳥、焼きそば、焼きうどん、他と盛り沢山の品数を揃えたサラリーマンの息抜きにはもってこいのお店で冬場はおでんがメニューに追加される。
 その店を切り盛りするのはママの松村節子さん、お歳は・・まっ、この年数ですからご想像にお任せですが美人のママで旦那様は、もう何年前になるのでしょうか鬼籍に入られ、それからは細腕繁盛記を地でいくママさんですが今は、これまた若くて美人の丸ちゃんが手伝ってくれています。

               『居酒屋 武道館

『武道館』と言うお店の由来についてはハッキリと聞いた訳ではなく旦那様が武道家であったからと思いこんでいるのですが以前はヌンチャク等も飾っていた様な、当時、カウンターの中から武道家のご主人が、お客さん“骨酒飲みませんか”と薦められた事を思い出します。
38~40歳代、兎に角、仲間とよく飲みました、愚痴もこぼしましたし気勢も上げ論争もした馴染みの居酒屋です。
58歳で役職定年になり高松営業所に戻ってからも65歳で退職するまでの7年間、暖簾を右手で上げてカウンター席の一番奥に座り生ビールとカウンターの上に置いてある作り置きの総菜を注文してグビグビとビールを飲む、長かったサラリーマン人生、何が良いって、これが良いんだよね~。
私は一人で飲むのはあまり好きではなく大体が事務所の仲間と飲むのが常なのですが定時での業務終了は嘱託の爺だけで現役はどうやっても7時過ぎ、皆を待つ2時間で爺は出来上がってしまう、それから一人また一人とやってきて話が盛り上がって更に飲む、そして10時になって、お先にと終電の1本前で帰宅する、このパターンなものですからだいたい翌日は決まって二日酔い気味になってしまいます。
退職してから10ヶ月、善通寺~栗林公園駅までの電車賃は¥590.ですから琴平からのJRが無くなると家まではヘイ!タクシーと言うことになってタクシー代が約¥1700.つまり交通費だけで¥3000.は掛かるし又、女房に高松まで飲みに行くとも言い出せず今回のアルバイトは渡りに船となった訳です。
 善通寺にも飲み屋はあり自治会の人と年に3回ほど行くのですが所謂一見さんですから通算27年間の『武道館』とは趣も異なるのは当然ですね。
 ちょっと早く切り上げて琴平発のJRに間に合えば¥210.で済みますがJR琴平駅は乗客も少なくガランとしたホームに酔っぱらった自分の影が一つ、まだ10時と言うのに何とも寂しい。


ローカルなんですね~