2023年5月29日月曜日

さくらじい残日録 令和5年5月号

 4月のお話しですが時間切れとなった“爺さん久し振りの東京”から始めましょう。

 そう東京にはトータル6年ほど住みましたでしょうか、就職は東京三鷹市に在った企業で主に無線関係の大手メーカーの系列会社であった放射線測定器や医療機器を製造販売していたメーカーでした。

 企業寿命60年と言いますが我が社も多分に漏れず大株主親会社の不況により「友好的M&A」とか言って巨人企業に吸収されてしまったのです。

 今では旧会社のロゴを耳にする事もなくなり、まあ~消滅の憂き目に正に「お家断絶」となって10年は過ぎたでしょうか。

 前置きが長くなってしまいましたが新入社員時代の事ですから45年ぐらい前になりますが三鷹市青年学級と言うサークルに入っていて当時の先生とは今でも交流がありまして。

 そんな先生も後期高齢者、久し振りに会って酒でも飲みたいと言うものですから友人のキヨシ爺さんと缶ビールを買って自宅を訪問してきた訳です。

 まあ~そんな目的での上京でしたが折角の上京ですから当時の会社はどうなっているのかと翌朝、吉祥寺のホテルを出てブラブラと井之頭公園を通り抜けて向かったのです。



 井之頭公園は昔のままで環境抜群、近隣の家々は億円なんだろうなあ~なんて言う会話をしながら歩くと、おお~ここは過の有名な「太宰治先生」が入水自殺された「玉川上水」だね。

 左側の玉川上水を観ながら旧会社に向かってブラブラと歩きます。

 ( ,,`・ω・´)ンンン?大日本帝国の軍需工場で日本で初めて「マグネトロン」を開発しレーダーを作った由緒ある趣の工場は跡形もなくなっていました。

 我が社の建物は・・おお~あった、あった。

 右奥が本社で左には親会社の診療所が残っていました、因みに親会社は縮小したものの現存しておりますので念のため、そして我が社の青梅工場ビルは現存しているそうです。


 感傷に浸っていてもショウガナイと上野の国立博物館に行ってきました。


 当日は特別展示とかで恐竜博を開催していたのですが、入り口で“予約されていますか”とぶっきら棒に言う兄ちゃんスタッフに・・ぬわにぃ~予約だとお~(# ゚Д゚)、額に汗をかきかきだった事もあって、じいさん切れてしまいました。

 東京って人口が半端じゃあないから予約が必要なんでしょうが、それにしても最初から予約と知っていたら行かなかった。

 その顛末は平日と言う事もあってスタッフも”うるせぇ”ジジイが来たと思ったのでしょうか当日券を購入できて無事に見学と相成りました。

 示品の殆どは化石標本と骨格標本そして骨格模型で実物を模した動く恐竜を期待したのですが何と言うかイマイチでしたね、そんな展示でしたがティラノサウルス骨格はやっぱり迫力があります。




 キヨシ爺さんとは上野駅でお別れ。

キヨシ爺さん東北新幹線で仙台泊り、さくらじいは上野駅から地下鉄に乗って息子が取ってくれたホテルに移動して今晩は息子と飲み会食です。

上野駅構内、おお~懐かしい。

中央改札の絵・・誰の壁画か考えもしなかったのですがインターネット検索して・・何と香川県高松市出生の「猪熊弦一郎」画伯の自由と言う作品と知り今更ながらビックリ。

 そして上野駅始発(終着)ホーム

 そうなんです、さくらじいが子供、と言うか上野駅と東京駅間が繋がっていてない時代は全ての列車はここから発車してこのホームに到着するのです、むむ!!故郷の訛り懐かし懐かし停車場に・・とは  ( ^ω^)・・・。

 早めにホテル入りチョットゆっくりして近くのコジンマリとした居酒屋で他愛のない話をしながら父子酒を楽しみました。

 翌日は先月お話しましたスーパーラジコンに寄ってから新幹線にのって善通寺に戻ってまいりました。

 因みに都会ではトイレに苦労します、容量の小さくなった爺さんにはシンドイっす(*_*;

 それにしても外国人観光客が多くいましたが彼らはトイレをどうしているのだろう、まあ~3時間は平気なんだろうね。

義妹の畑を耕すと言う我が女房に急かされて軽トラックに管理機を乗せて農作業のお手伝いに行ったのですが今日は義妹の息子が管理機を使って耕すと言います。

それではと簡単に取り扱いを説明しましたら流石、若者だねえ~爺さんは日陰で眺めるだけのお手伝いでした。


 家に戻ると夕日に照らされた小麦(さぬきの夢2009)が黄金色に・・ああ~そろそろ麦刈りが始まるなあ~。

 ( ,,`・ω・´)ンンン?麦が波打ってる・・そうなんです(*_*;当地では“転ぶ”と表現してますが正しくは倒伏(とうふせ)と言って広がると刈り取り作業に支障をきたすのです。

 そんな土曜日にご近所さん(農事組合法人の方)から飲み会のお誘いがあって。昼飯はいらんぞお~と女房に行って出かけたのは良いのですが・・・(*_*;

 ホンマにイカンなあ~お調子者のさくらじいカラオケがセッティングされたら歌って呑み過ぎの酔っ払いジジイとなりマタマタ女房に(# ゚Д゚)叱られる始末・・アカンなあ~ゴメンナサイ。


 翌朝、鏡を見て・むむ(*_*;これは?額に傷が!??


 天下御免の向こう傷・・ぷっふぁあ~旗本退屈男を思い出すなんてホンマにアホやねえ~・・イカン!自重せねばと反省しきり。

 今月はコロナで3年?4年も中止となった自衛隊第14旅団創隊記念行事がありまして小雨が降っていましたが久し振りと観に行って参りました。



 大きな音がします、カメラのシャッターに指をかけ準備OK・ズッドドおぉん(@_@)今回もシャッターチャンスを逃してしまいました。

 今年も麦刈りが始まり超狭い畔に軽トラを進入させまして・・ι(´Д`υ)アツィー

 さくらじいは収穫された麦を軽トラでJAのカントリーエレベータに運ぶ仕事ですが暑さに負けるかぁ~と頑張るのですが人手不足は何ともなりません・・ヘロヘロです。


 
ここは何処だと思います??開業医さんの待合廊下なんですが昭和、いや大正かも・・・レトロ感が何とも良い・・何か良いなあ~と。

 今日は6回目のコロナワクチン接種の日です、何回続くのでしょうか。


  ┐(´∀`)┌ヤレヤレ今回はここまでです。

 そうそう先程の「旗本退屈男」の事ですが改めてインターネット検索をすると早乙女主水之介を演じた市川歌右衛門さんですが香川県丸亀市の出身・・ええ~\(◎o◎)/!何と言う事でしょう上野駅の絵を描いた猪熊弦一郎画伯と同じ香川県出身とは何て言うか不思議な気持ちになってしまいました。

 因みに市川歌右衛門さんの次男はご存じ北大路欣也さんですね。

 それでは皆様、次月までごきげんよう( ^ω^)・・・

1/10金属ゼロ3号機 外板張り④ 

 主翼の外板張りを不満足な出来ではありますが取り合えず完了としました。

主翼上面

 主翼下面


 そして、いよいよ前部胴体と後部胴体の接続ドッキングとなるのですが・・

ちょっと待てよ( ,,`・ω・´)ンンン?後部胴体を接続する前に・・そうだ!!尾輪の動きに不安があった、そして外板張りの出来もイマイチ感があって接続してからでは不具合処理も困難に・・と言う訳で後部胴体の手直しをする事にしました。

後部胴体の手直しの前に何時もの「百聞は一見に如かず」動画を観て頂きましょう。


 動画や写真ではそれなりに出来ていると見えるのですが如何せん目の前で見るのとは大違いで、もっと完璧な制作手法はないものか!等と考える事シキリです。

後部胴体の手直し後です。

尾輪の収納動作も確認しました。


 そして操縦装置である方向舵(ラダー)・昇降舵(エレベータ)の動きも確認しました。



 方向舵(ラダー)・昇降舵(エレベータ)そして尾輪用のサーボ配置です。

見難くて申し訳ありません。


 尾輪駆動用のサーボとメンテナンス開口部で、ここは両面テープによる固定は止めて粘着アルミテープのみの固定としました。


 方向舵(ラダー)・昇降舵(エレベータ)サーボメンテナンス開口部になりますが、ここも両面テープによる固定をせずにアルミ粘着テープのみでの固定にします。

接続(ドッキング)前に動作の確認しておかなければならないのが動力用のモーター モーターコントロールそしてリポバッテリーの配置と固定で動作確認までおこないました。

モーターの固定と仮プロペラによる動作確認。


 因みにモーターコントロールとリポバッテリーの配置は防火壁を跨いだ位置に固定します。

このモーターとモーターコントローラーそしてリポバッテリーを入れるとズッシリと重量が増すのですが、まあ~重量はモーターのパワーで何とかなるとして問題は重心位置を既定の防火壁から46mm位置に出来るかなんです。

まだ後ろに来る様であればモーター位置に重りを乗せないとダメかもしれません。

 防火壁を跨いでエンジン架に入れているのですが??


 さあ~如何相成りますか・・・です。

次回は受信機と制御用バッテリーの配置と送受信機による動作確認をしてから前部胴体と後部胴体の接続(ドッキング)作業からのお話しになります。

では次回までご機嫌よう( ^ω^)・・・