2014年9月30日火曜日

オリジナル金属ゼロへの挑戦 2/

[] 製作構想と準備

 製作のやり方として常識的には先ず1/10の製作図面を書いて材料の検討をして、と順番でやるのでしょうがゴールの見えない無謀な挑戦ですから途中の挫折も想定内で始めなければなりません。

 サラリーマン時代と違って毎日が日曜日の自由人生活ですから納期も責任もありませんのでやれる様なものです。

 と言う訳でカットアンドトライを基本に、そしてディアゴスティーニ等の週刊頒布模型に習い先ずは右の主翼から製作を開始する事にしました。

 1/10 主翼の図面を書いてみました。


子供の頃に竹ヒゴとバルサ材の翼に紙を貼ったゴム動力飛行機を作りましたが、その製作手法と同じですね、それをアルミで作ろうと言うわけです。

 片方の主翼全長603mm、全幅1200mm、模型としての原寸法図面で大きさのイメージをつかみます。

 主翼を構成する部品、主桁(前桁・後桁)、翼型(リブ或は小骨)、補助翼、フラップ、タイヤハウス等の部品を作るのですが、この方法としてはボール紙による型紙を作り市販のアルミ板に型紙を使って線描きした部品を切り抜いて製作します。

 小骨(リブ)の翼型図ですが海軍工廠の図面は製作図ではありませんので1番~26番そして折り畳み翼、補助翼、フラップ全ての図はありませんから、ここはディアゴスティーニ金属零戦製作での主翼小骨原寸図を参考にさせて頂きました。

 そうして先ず主桁の型紙から作ろうと作業を開始したのですが桁全長寸法5M125を基準にして線描きすると短くて寸法が合いません。

 小骨1番から26番までの間隔寸法を合計すると5M375、これって記載ミスですよね!これが製作図だったら、きっと大変な事になっていたのではないかと思うのですが。

 それを70年後にジジイが発見するとは!ええ~何か不思議な気持ちです。



そうして作った型紙、主桁(前桁・後桁)、小骨1番から9番


小骨10番から26番と補強


翼内燃料タンク、主脚収納(タイヤハウス)隔壁、フラップ隔壁等
RC模型に翼内燃料タンクは不要なのですが、無いとガランとしてイマイチな感じがして作ってみる事にしましたが・・・?


 フラップと折り畳み先端翼の型木


補助翼の型紙と型木、補助翼隔壁


 ここで紹介しました型紙は二作目でして実は当初、少しでも実機図面に忠実に作りたいと言う願望があって桁と小骨等を全てマイクロネジで組み立ててみたのですが数ミリずつの誤差が積み重なり図面通りの寸法にする事は至難!と断念せざるをえませんでした

その様な理由から模型で使われている部品どうしの間隙を組み合わせる方法に変更しました。

 まあカットアンドトライだなんて恰好良い事を言ってみても特別な道具がある訳じゃないしアルミ板の切り抜きから試行錯誤の連続で又、金属どうしの接合についても実機ではリベット(鋲)止め、市販のアルミリベットを探して見ましたが最小でも2mmφ、試してみたものの大き過ぎますし出来ても不細工な仕上がりになってしまう。

 資材の調達先は田舎のホームセンターですから限られますが唯一、1mm~1.7mmφのマイクロビスを見つけた時には大袈裟ですが感激でしたね。

 そうそう、アルミのロウ付けが半田ごてを使う様に出来たら良いかもしれないとガスバーナとアルミロウを買って来てトライしてみましたが0.2mm~0.5mmのアルミ板を素人がバーナで炙ったら溶けてしまう、厚い物なら良いけれどダメだなあ~と断念。

 次に検討するのは接着剤となるのですが市販されている金属・ガラスを対象とする接着剤も色々と試しましたが満足する接着強度の接着剤が中々見つからず色々と試し現在では㈱GSIクレオスのMr.JUST 高強度タイプとコニシ㈱のボンド エス・ユーシリーズが一番良い様です。

 ディスプレー用の模型なら良いのですがRC模型飛行機として作るのですから強度が必須なのは当然でしょうか。

 アルミロウ付け。

 最初はアルミロウが山盛り状態、失敗を重ねて何とかまあまあのロウ付けが出来たのですが今回の模型製作には不採用だなあ~


マイクロビスによる固定を繰り返した結果、図面とは程遠い精度になり失敗した右主翼。
 一見良さそうなのですがフラップを無理やり入れている等で没としました。


 そうして型紙から作り直す事に、それが掲載した写真の型紙であり、その型紙を仮組したのが下記の写真になります。

 ここで、うう~ん!出来そうかも。


主桁と小骨に作った間隙をはめ込むと言う模型ならではの方法にしたのですが実機でこんな事をしたら強度不足で空中分解です、まっ!ショウガナイ早くも妥協です。

次回は0.4mmのアルミ板から主桁(前桁・後桁)を製作です。

 7月27日のブログでプロローグとして現在進行中の右主翼フラップと補助翼の動画を公開しましたが今回は最近作った右主脚の出来具合を動画で公開します。

 如何でしょうか、因みに重量はカバーを含めて66gです。
 海軍工廠の図面では車輪が32.9Kgとなっているので1/1000では
32.9gに抑えなければならない事になるのですが最悪は真鍮ではなく全てをアルミで再製作しなれればならないかもしれません。

 いやはや!!一様、試作として位置付けているので言い訳ができるのですが何とか作り直してみようと考えております。

この様な落とし穴の連続なのでしょうね、如何相成りますでしょうか。

 東京、大阪に住んでいる人が羨ましいです、何故かと言うと東京には秋葉原が大阪には日本橋、そして東急ハンズがあるからです。
 この善通寺にはホームセンターしかありませんから。



2014年9月20日土曜日

気になっていた第11師団司令部と将軍 乃木希典


 最近ですが陸上自衛隊善通寺駐屯地入口にある広報版の下に新しく「乃木館入口」と言う看板が掲げられています。
 ここには旧陸軍の第11師団司令部として建築された庁舎が当時のまま保存され現在は1階を陸上自衛隊第14音楽隊が使用しているものの2階は資料館として一般に公開されています。

 善通寺に住んで9年目になるのですが日々のウオーキングで一度は観なければと気になっておりまして9月に入り秋晴れの金曜日に急に思い立って見学して参りました。


当日もウオーキングの途中で麦わら帽を被り半袖半ズボンそしてウオーキングサンダルを履いたオッサン!ズカズカと門を入って行くものですから守衛の隊員に一瞬、怪訝な顔をされましたが、乃木館の見学をさせて下さいと言うと笑顔で応対をしてくれました。
 来館名簿に名前、住所電話番号を記入。
 来訪の恰好が恰好でしたので“何時ものウオーキングで気になっていたものですから”


 と一様の体裁は整えて話をしますと乃木館では担当の説明員が案内します、ごゆっくりと言ってくれました。
 門を入り真っ直ぐに進むと明治に建てられた威厳ある旧陸軍第11師団司令部庁舎が見え守衛隊員から連絡があったのでしょう入口前に夏の制服を着た、そう歳の頃30歳前後の若いイケメン隊員さんが待っていてくれました。
 見学者はジジイの私だけでしたから専属の説明案内員と言う訳です。



こんな格好ですからねえ~、恰好を気にしなくなったのはやはり歳をとってジジイになった証でしょうか。
 玄関を入ると正面が2階に上がる中央階段になっていて左の壁面に最近撮影されたのだろうウエディング姿の花嫁と婿殿の写真が数枚飾られています。
 ここは結婚写真の撮影でも開放しているのです、成る程!この中央階段での撮影は
雰囲気はあるかも。
 この階段を上ると「乃木資料館」となります。


乃木室(師団長室)です。
 初代師団長の乃木将軍が執務をした部屋で、当時の面影を残すよう配置している、そして机や椅子は乃木将軍が実際に使用していたものです、とパンフレットには書かれています。



  椅子は二脚並べてありますが乃木将軍ご愛用の椅子は右側の物です。

 将軍 乃木希典については書籍や手軽に検索できるインターネットで知って頂けばいいのですが特に「坂の上の雲」で司馬遼太郎が評する愚将と言う印象は乃木神社として祀られている事からも善通寺市においてはないですね。
 まあ、分厚いコンクリートで作られた堅牢な要塞から連射される弾丸に向かって突撃を繰り返し将兵が消耗する様を映画などで印象付けられていたからかもしれませんが坂の上の雲を読み一旦は“”そうだよなあ~と思っていましたが善通寺に住み乃木神社を参拝しそして乃木将軍が善通寺村(当時)での宿舎とした「金蔵寺」での逸話などを聞くに及び何時の間にか人間乃木希典と言う武人に対する畏敬の念を持った自分に気づかされます。



歴代将軍の写真ですが初代が乃木希典中将そして、えっ!と思ったのが旅順攻囲戦での第11師団参謀長であった伊地知幸介少将が中将となって6代目の師団長になっているのです。
 伊地知師団長は明治41年~43年と言う事で明治37年、参謀長として参加した旅順攻囲戦の後に就任しているのです。
 何れの批評はあるでしょうが司馬遼太郎「坂の上の雲」はサラリーマン諸氏必読の書籍ではないでしょうか。

 他に太平洋戦争での“特攻”に関する資料や当時の小銃そして拳銃など多くの資料が展示されていました


一回りし専属で案内と説明をしてくれた若いイケメン隊員さんに“有難う”とお礼を言って辞去となるのですが因みにジジイが入った写真のシャッターを押してくれたのも担当してくれた隊員さんです。

 ホンマに変な恰好をしたオッサンいやジジイに付き合って頂き有難うございました。



 この敷地には退役した装備の展示もあり、ここは自由に見て触って写真を撮る事が出来ます。








最後に、この日は秋晴れで青い空に一朶の雲が点在していました。

 暑い!暑い!と口癖のように言っていた季節ももう終わり世間で言うスポーツの秋がやってきます、暫くは使用温度範囲の狭くなったジジイの身体も楽に過ごせる季節です。


善通寺市で見聞きする乃木将軍については後日のブログでお話しましょう。