2017年3月18日土曜日

ウオーキングで見るビフォーアフター・・・と言うか!?

 奈良東大寺のお水取りも終わりこの3連休最終日は春分の日ですから、やっと春とおらいと言う事でしょうか。

“ 歳をとったせいか昔の事を時系列関係なしに思い出して・・・なんて言う言葉をブログに書くようになってしまいましたが何時の頃からか朝起きてシャー~と部屋のカーテンを開けた時に(^^♪新~しい朝が来た、希望ぉ~の朝~だ・・と言うあのNHKラジオ体操のテーマ曲が頭の中に・・気が付くと口ずさんでいる自分がいるのです。

 まっ!?そんな事はどうでも良い事なのですが我が家の家庭菜園にも新しい春がやって来ました。


 菜の花が咲いてスナックエンドウ豆にも花が咲き臨時に手伝いの依頼がある農事法人さんの麦畑も青々と誇っています。


 さくらじい残日録として仕事と位置付けたウオーキングもやっと春めいた暖かさに気軽な気持ちで歩ける( ^ω^)・・・と言う訳です。

 そんなウオーキングで見る何時もの風景ですが今年に入りガラッ!?と変わってしまった風景が3か所もあるのです・・・( ゚Д゚)・・正に“諸行無常”ですなあ~

 今回はその様な諸行無常についてお話をする事にしました。

 1か所目は解体された尽誠学園の旧校舎

 尽誠学園・・ああ~あの甲子園で知られる様になった高校ね!?と言われる人は私と同年代でしょうか。

 何せ香川県は善通寺市の田舎に在る尽誠学園を全国に知らしめたのは1986年・7年の甲子園出場でしたから若い人は知らないかもしれません。

 甲子園で活躍した伊良部秀樹と言ったら思い出してくれるかなあ~沖縄生まれで兵庫育ちロッテに入団してメジャーのヤンキースへ・・でも42歳で不遇の死を選んでしまった人なんですけれど。

 解体前の旧校舎


 解体されて


 今はもうありません


 違う方向からのビフォー風景


 そうして同方からのアフター風景・・・( ゚Д゚)・・スッキリし過ぎです。


 実はアフターには続きがあって道路の看板で右折は自衛隊駐屯地方向となっていますが、この道路が自衛隊から尽誠学園の旧校舎跡地を突き抜けて新しい幹線道路へと繋がる・・・噂ですが( ^ω^)・・・有事に備えて自衛隊の行動を迅速に・・ですね。

 2か所目は、田んぼの中で森となっていた旧豪農の跡地が更地に変身・・!?

 手前の田んぼは我が女房実家の田んぼですが、こんもりと茂った森となっている旧豪農屋敷跡





 朽ちた土塀の中には屋敷はないのですが鬱蒼と茂った森となっていて伐採整地した時の話を聞くと蝉の幼虫が“たあぁ~くさん”居たそうです。

 今年の夏は蝉の声がないかもしれません・・因みにこの辺の蝉は“クマゼミ”が主です。

 ガシャ・ガシャと喧しい蝉で情緒は全くありません


 業者が入って整地が始まりました。


 この敷地の一角に供養石碑がありまして・・この石碑を撤去しなければならないのですがそのままポイ!?としたら祟りが恐いですから、そこは坊さんを呼んでお経をあげて魂を抜いてもらったのです・・他所者とは言え今では地元民ですから出席しました。


 維新以来の国難に殉死し日露戦争1904年『明治37・8年』忠魂碑とあります。


 以前のブログにも書きましたが乃木将軍が善通寺の地を第11師団司令部と決めたときに一度は司令部として使って下さいと当時の豪農さんが名乗り出た事に由来するのかもしれませんね。

 そうしてデッカイ楠は伐採され整地されたアフター風景・・・( ゚Д゚)・・です、見事になくなって幹線道路を超えた山が見える様になりました。


 実はこれにも続きがありまして、この整地された地は善通寺市・琴平町・多度津町の学校給食センターが建築される計画となっています。

 3か所目は田んぼが民間企業に買われて更地になった風景です。


 さくらじいが猫の手ジジイとして、忙しく人手の足りない時に手伝っている農事法人さんが麦・米を作っている田んぼだったのですが近隣の陸運企業が業務拡大の為にと購入し整地される事になったのです。

 この様に重機が入って


  田んぼが更地になってしまいました。



 勿論、これにも続きがありまして、この地には倉庫が建築予定です。

 最近のビフォーアフター・・諸行無常のお話は、この3か所ですがウオーキングで、ひゃあぁ~凄い( ゚Д゚)と言う風景を見る事がありましたので追記します。

 それは電力会社の技術者があの高圧送電鉄塔に登っていく姿でした。


 凄いっす!!俺には絶対できない仕事だなあ~・・驚きと凄い!!としか言葉が出ません。



 2月に受診した人間ドックの結果では脳MRI結果にも異状は認められず要精密検査と言う項目もありましたが悪性新生物云々はなかったので何とか今年の1年間は元気に過ごす事が出来そうです。

 

 

2017年3月17日金曜日

オリジナル金属ゼロへの挑戦 26/ 左主翼の製作

『左主翼の製作』

 市販のキットではなくビールのアルミ缶やホームセンターで入手できる金属部材を使って飛行機模型を作れるかもしれんなあ~と海軍航空技術廠編の零式艦上戦闘機図面集を入手し手始めに右主翼から作り始めた1/10縮尺のゼロ戦。

 1冊の定価が1万2千円もする海軍航空廠編の図面集を入手して始めた趣味模型製作ですから途中で投げ出すなんて出来ないぞ!?と製作過程を「オリジナル金属ゼロへの挑戦」として2014年7月にブログ初公開して早3年が過ぎようとしています。


 現在に至る製作過程と進捗は月1回のブログで公開している通りですが右主翼から始めた機体も前后部胴体まで進み2017年3月で作った左主翼でやっと全貌が見えてきました。

 先ずは現在の進捗写真です。



 2014年に完成度80%まで製作した右主翼ですので左主翼も同じレベルの進捗度で一区切りにしています。

 主翼については左右の膠着装置、引き込み主脚を取り付けて可動試験に成功した時点で完成となりますが4月のブログで公開できるかが次の難易度の高いハードルですね。

 ディオラマ風に左右の主脚をスノコの上に置いて撮影してみました。

 黒いユニットは過日ネットで購入した主脚引き込みユニットです。


 では製作過程を報告いたしましょう。

 右主翼製作で作っておいた左主翼の前后桁に小骨の切り欠きスリットをつけます。


 0.5mm厚さのアルミ板材から型紙を使用して小骨を切り出します。


 切り出した小骨は変形してしまいますので金板に挟み金槌で叩いて成型します。


 切り出した小骨にも嵌合スリットをつけ左主翼構成部材の完成です。


 前后桁に小骨を順次、嵌合させていきます。

 フラップ・補助翼・折りたたみ先端翼は桁同様に右主翼製作時に作っています。


 小骨に補強材を取り付けています。



 タイヤハウスと桁部材を切り出します。


 タイヤハウスと主脚収納部材を組み込みます。



 ラジコンに不要な翼内燃料タンクですが右主翼でも作って取り付けましたので左主翼にもダミータンクとして制作し取り付けました。

 又、右主翼製作時に作っておいたフラップも取り付けます。


 次にフラップ同様に作っておいた補助翼(エルロン)も蝶番の有る小骨に取り付けます。


 小骨13番と補助翼蝶番を1.4mmマイクロビスで固定する


 小骨19番と補助翼蝶番


 小骨25番と補助翼蝶番


 折り畳み先端翼も取り付けます


 先端翼の折り畳み機構は右主翼と同じです


 前后桁に組まれた小骨、タイヤハウス、ダミー燃料タンク、フラップ、補助翼、先端翼


 0.3mmアルミ部材から前后桁の上面補強材を作る。


 長尺加工の為に作った手製工具を使って前后桁補強材を作る


 右主翼と同レベルまで補強材を取り付ける


 フラップ、補助翼可動リンク部品を作る


 リンク部品は0.3mm真鍮板、3mmφ真鍮パイプ、2.5mmφ真鍮棒を主な部材として制作しています


 リンク部品を左主翼に組み込みます。


 補助翼可動リンク


 補助翼可動、第二リンクとフラップ可動機構とリンク部品を組み込む。


 左主翼を進捗80%で製作


 これで左主翼の一区切り完了です。



 次は左右の主翼に主脚(膠着装置)を引き込み脚ユニットと合わせ組み込み可動試験まで行う・・・( ゚Д゚)・・予定です。

参考資料 『海軍航空技術廠 主翼関連図面』