歳を重ねる毎に時の流れは“ぐいぃ~ぃいんん”と、つまり横軸に年齢を縦軸に経過時間をブロットすると指数関数的にと申しますか凄まじい右上がりのカーブを実感してしまうのです、誰だったか言っていました“歳を重ね爺さんになってくると感動とか感激する事が無くなってくる為にそう感じる様になるのです ”( ,,`・ω・´)ンンン?なるほど。
昨年は喜寿のお祝いで自治会から寸志を、そして元会社の社友会からはJCBの金券が送られてきました、今年に入ってから早々に善通寺市からも喜寿のお祝い金を頂きました。
しかし祝い金を貰うのは嬉しいけど何と言うか喜寿と言う称号を得てみると俺も77歳の爺さんなのかと素直に喜べない自分がいるのです。
正月は混雑するからと昨年の末に倅が帰省してきまして善通寺境内の西に在る香色山に登りたいと言うものですから後期高齢者の爺さんにはチョット!!と思いながらも、まっ!150mだからと久し振りの登山に挑戦・・大袈裟ですかね。
五岳山縦走\(◎o◎)/!とんでもない五岳山の一つではあるのですが右端の一番小さな山です、元気な若者は走って縦走する様ですが後期高齢者には異次元の世界です。
正面が香色山で右が筆ノ山そして左奥が我拝師山と重なって見えています。
150mでも爺さんにはハードな登りでしたが登ってみると眼下には善通寺市街が一望できて過日の白内障で入院した医療センター、日々のウオーキングでの自衛隊14旅団駐屯敷地そして遠くは瀬戸大橋まで見えます。
こどもとおとなの医療センター
善通寺境内と讃岐富士と呼ばれる「飯野山」
自衛隊第14旅団駐屯地
瀬戸大橋
低いけど登山の雰囲気は十分で頂上近くですが未だ大丈夫、前方は290mの筆の山です。
戦時中の話ですが高松空襲では米軍機が前方(南)太平洋側から飛んでくるのを見張りしていたと義爺さんの話を聞いたと倅が言っていました。
そして登頂┐(´∀`)┌ヤレヤレでございます。
この山頂も古墳なんですね、
農事組合法人さんのアルバイト料で購入したスマートウオッチで方向の確認
ぶじカエル・・無事帰る、下山した善通寺境内に蛙の石像がありました。
実はさくらじいのコレクションに蛙が有りまして正月に来てくれた孫娘が・その時が来たら貰ってくれると言うものですから、それならとカエル飾り棚を制作しました。
むむ!!我ながら良く出来た( ^ω^)・・・
お調子者の爺さんですから勢い余って不苦労・・数は少ないのですがフクロウの飾り棚も作ってしまいました。
これも、まあ~まあ~の出来ですから孫の好きな白を塗って仕上げます。
こんな事をやっていたら農事組合法人さんからラインがあって
明日、小麦の予防(雑草対策)をするから爺さんも出てくれと(*_*;
“義を見てせざるは勇無きなり”寒さを覚悟してのお手伝いです。
後は麦踏・土かけ等、機械を使っての作業ですから爺さんはパスで(__)ゴメンして
組合員さんは仕事中ですが女房、義妹そして義叔母さんの4人でフランス料理レストランでランチ会食・・ランチなんだけど3000円/人ですからね、それなりに・・です。
新年を迎えて今年の工作は何に挑戦しようかと思案しても中々思いに至らずに月末になろうとしています。
農事組合法人さんの手伝いアルバイトをして10年になるのですが他所者爺さんは地理も不案内ですし、この田圃が終わったら次はこっちと解らないままに作業手伝いをするので何時終わるのか見えてきません(*_*;つまりエンドレスと言う気持ちになって堪らん(# ゚Д゚)のです。
そんな訳でショウガナイから図書館でゼンリン地図を縮小コピーして張り合わせた手作り圃場図を使っていたのですが、お父さんこんなのがあるよと教えてくれたのが国土地理院のオープンデータ地理院地図そして社会基盤情報流通推進協議会のG空間情報センターからオープンデータとして入手した善通寺市の地番地図(何れもインターネット検索) これを合体しての地図作りに挑戦!?
実はこのオープンデータを使用する為にはオープンデータを読み取るソフトが必要なのですが、このソフトウエアもフリーウエアソフトがあって\(◎o◎)/!おお~素晴らしいです。
何と倅がQGIS地図づくりの参考図書を探して送ってくれました。
むむ(*_*;・・難解ではある。
果たして喜寿の爺さんに出来るのか( ,,`・ω・´)ンンン?爺さんには最高難易度だな!!
マスター出来たとは言い難いのですが格闘する事、延べ二週間、満足するには程遠いのですが何とかなるものですねえ~
取り合えず、らしき地図は出来た( ^ω^)・・・自己満足
道路と地番地図
住宅を入れるとこんな感じ
農事組合法人の専用地図にしたいのだけど善通寺市地番の全てが入っていて見難い
理想的には農事組合法人の圃場地番だけにしたい。
もう一つ作付け図とするには品種毎に地番を色分けしたい、例えば麦作なら“はだか麦”と“小麦”そして稲作なら“おいでまい”と“あきさかり”
まあ~これ以上に根気を詰めてやるにはシンドイので第一弾はここまでにしよう。
QGISの本をみると色んなことが出来る様で面白いかも、でも喜寿じいさんが根気勝負に耐えられるかだね。
これは2003年だから何と20年前になるのか\(◎o◎)/!娘の結婚で人生の船出に船がいるだろうと作ったヨット(1922年に製造されたスナーク船 マラバル号)の模型ですが暫くは娘の家にあったのですが家が狭くなって飾るところがないと返品になり我が家の玄関でディスプレーとなっていたのですが蛙の飾り棚に場所をとられジジババの寝室箪笥の上に場所替え。
長年の埃を被っていましたので久し振りに掃除をしました。
これはキットではないのですよ!
週刊キットであった帆船カティーサークを購読時の59号~69号で紹介された作成手順と図面から市販(この時は大阪時代でしたから江坂の東京ハンズ)の木材と金属材料で製作した作品です。
何か書いているうちに長くなってしまいました、最後にウオーキング中の大空を見てキラリ(@_@)と光る物体が・・むむ!!UFO?写真❓を張り付けて終わりにします。
では皆様、今年も元気に続けるつもりですから宜しくお願い致します。
今年こそはと思ってみても・・・UFOに遭遇しないかなあ~