特に決まった宗教も持たず、それでも正月の初詣には子供の頃から行っていたし厄年になれば厄払いをしなければと有名なお寺さんに行って祈祷をしてもらうなど神仏を信じる心はあったと思っています、でも後は困った時の神頼みと、お願い事ばっかりで凡そ信心には程遠い生き方をしてきました。
誰でも齢60も過ぎると宗教心が芽生えるのでしょうか元会社の友人から伊勢参り懇親会と称して誘いがあり私は二度目ですが10月の3連休に行ってまいりました。
今回とメンバーは違うのですが一度目は神宮式年遷宮の前年、2012年6月で、この時は信仰心が浅かったのか皇大神宮(内宮)のみの参拝で専らが松坂牛と伊勢魚介類の食事目的と言われかねない所謂、旅行ですね。
2012年6月
昼食で食べた松坂牛の焼き肉、やっぱりビールは必須でしょうか。
内宮の入り口ですが神宮式年遷宮前と言う事と平日でしたので余裕の参拝でした。
鳥居の中では撮影禁止です。
皇大神宮(内宮)と豊受大神宮(外宮)の神宮式年遷宮が成され年が明けた2014年の2月、元会社で気の合うOBとOB予備軍さんの懇親会と言う事で発起人から「お伊勢参り」のメールが届いたのでした。
「お伊勢参り懇親会」
伊勢神宮は昨年、20年に一度の「式年遷宮」を終えました。
古くから式年遷宮の翌年を“おかげ年”またこの年にお参りすることを“おかげ参り”と言い、特にご利益があるとされています。
60歳を過ぎ、色々な思いで超えてきた人生の山坂をこの機会に一度振り返り、新しいお宮にお参りしませんか。
そして清らかな気持ちにになって、温泉でのんびりし、伊勢志摩の美味しいものを食べ、旨酒を飲みながら昔に戻りましょう。 発起人
参加者は10名を予定していたのですが肝心の発起人さんがアクシデントに遭遇し急遽の不参加(外傷ですので命に別状なし時間の問題なので心配はないのです)となってしまいましたが10月の3連休を利用しての「お伊勢参り懇親会」に参加しましたので、その道中記の抜粋をお話いたします。
前回は一泊二日の御参りでしたが今回は二泊三日と言うことで内宮、外宮は勿論のこと別宮にも参拝しプラス猿田彦神社と信心深きお伊勢参りとなりました。
皆さん、遠くは札幌、仙台、秋田、東京、名古屋、広島そして私が香川県善通寺と遠方からの参加で集合はJR名古屋駅、アクシデントに遭遇された一人を除いて皆さん早目に集合し、イザ伊勢神宮に!いや先ずは今夜の宿泊場所である松坂市の旅館へ。
因みに幹事さんは地元名古屋で勤務の近々OBの予備軍さんです。
予約していた旅館 鯛屋さんは純和風で女将さんは、うちは昔で言う「はたご」で、と言っていましたが部屋に入ると成る程!坂本竜馬がしゃも鍋をつつき熱燗徳利を傾けていているのが想像される風情のある古風な旅館でした。
御参り目的の旅なのですが、そこは往年の飲み仲間ですから松坂牛しゃぶしゃぶとすき焼での宴会となったのは当然の成り行きですね。
女将は流石!おきれいな方でした、因みに旦那は板長と言っていました。
昨晩の余韻を残しながら近鉄に乗って伊勢市へ、
今回のお伊勢参りは全て公共交通機関を利用しての旅ですから近鉄伊勢駅に付いたらコインロッカーにカバンを預け身軽になって外宮行のバスに乗車、そして豊受大神宮(外宮)へと御参りのスタートです。
やっぱり3連休の中日ですから外宮に近づくにつれて御参りする人が多くなってきます。
外宮、鳥居の中は撮影禁止ですから写真はこれが限度
そして再びバスに乗り皇大神宮(内宮)へ、この人ですからねえ~神様だって認識してくれそうもないなあ~なんて思いながら二礼二拍手一礼、ここまで来るのには・・・・。
勿論、敷地に在る別宮を全て御参りしました。
内宮を出たらそろそろ昼時、人ごみを歩いて適当なお店へ。
店に入って先ずビール、当然ですかね、私は伊勢うどんの冷たいのを注文、何で讃岐の人間がうどん!と思われるでしょうが、この伊勢うどん、讃岐うどんとは真逆の感があるけれど、これはこれで美味いかも。
12時前に昼食にしたのは正解で店を出る時には入店待ちの行列ができていました。
胃袋を満たして次は近くの猿田彦神社そして近いからと徒歩で内宮の別宮、月讀宮へ向かったのですが五十鈴川寄りに歩いて遠回り、でも文句言うでもなく黙々と歩く、信仰心あるがゆえ?
御参りが済んで二見浦の旅館へ!と言う計画で伊雑宮は明日の予定だったのですが丁度台風19号が接近していましたので今日中に行こうと言う事になり近鉄で五十鈴川駅から伊勢駅へ、そしてJRに乗り換えて上之郷駅で下車、歩く事10分ぐらいでしょうか神宮の御料田が隣接する伊雑宮へ。
御料田を見学。ニュースにもなる御田植式はここで催されるのですね。
無人駅、上之郷でJRに乗り伊勢駅で下車、ここで旅行鞄をだして再びJRに乗って二見浦へ、旅館には14時過ぎ頃に到着、約20000歩を歩きましたが疲れは差ほどでもなくこれも神様のお力でしょうか。
折角ですから夫婦岩は観ておきましょう、台風接近の空模様でしたが見ておいて良かった翌日は台風19号の接近で帰路へと早々に旅館を出たのでした。
二見浦の旅館は「麻野館」幹事さんの好みでしょうか、ここも純和風な旅館でした、今日の会食は伊勢海老フルコース。
いや!若いころはそうであっただろうと全員一致の小柄で可愛い仲居さんが言うには、この二見浦は修学旅行で賑わった観光地で宿泊した麻野館さんも大勢の学生さんが泊まって賑やかだった、話し方も何となく可愛い・・いや失礼。
料理は伊勢海老フルコースですから伊勢海老のお造から始まって盛りだくさん。
この伊勢海老はここで獲れたもの?と聞くと、可愛い仲居さんが一言
うう~ん、お造だけね!後は飛行機で飛んでくるのです・・ここは正直に言わないとね!
成る程、納得
歳が歳だから完食は出来ませんでした美味しかったですよ
ジジイがウダウダと飲んでいたら片付きません、可愛い仲居さんの為にもここはこの辺でお開きに!と約2時間の会食でした。
部屋に帰ってからの二次会はご推察の通りです。
翌朝、台風19号が高知県に上陸、帰れなくなるぞ!と早々に旅館を出てJR二見浦駅へ、この駅舎も無人駅となっていてここでも観光客が少なくなっている、と言うか観光客は来るんだけれど宿泊しなくなったし殆どが自家用車移動と言う事の様です。
細かい雨が斜めになって降っています、もう台風が近づいている
途中で近鉄特急に乗り換えて名古屋へ直行、着いたのは10時前でしたでしょうか、帰れなくなったら困る!と言う事で名残は惜しい懇親会でしたが、じゃあ、と手を上げて散会。
さて、と広島の友人と共に新幹線のチケットを購入し缶ビールと乾き物を買って新幹線に乗り込み岡山で友人と別れて12時前に到着。
12時前に着いたのにも拘らず既に中四国の在来線は全て運休となり岡山駅で一人・・どうしようか!とうろうろ。
私の持っている情報機器はガラパゴス携帯でインターネットには繋がらない!丁度、岡山駅に併設された何とかインと言うホテルに直接行ったら、もう満室です、と冷たく言うではありませんか無性に腹が立ったけれどショウガナイ。
さて、どうやってホテルの予約をとろうか??思案しながらウロウロ、駅の窓外から見えるのは東横イン、ああアソコに電話をしてみよう、でも電話番号が分からない。
ん、同じように途方に暮れている老齢のご夫婦の後ろに案内掲示板があるではないですか。
ちょっと済みません、と眺めると、あったあった東横イン岡山西口・・電話番号を見つけて電話する、シングル1名とまれますか??ハイお取り出来ます、の返答に“お願いします”と言って予約を完了し取り敢えず宿の確保は出来た、丁度13時過ぎ。
チェックインはと聞くと16時からですと言う、外を見るともう暴風雨になっている、街をウロウロ出来ないし、それよりJR岡山駅西口から見える東横インはどう見ても1Kmはありそうでびしょ濡れの覚悟は必至かな・・・。
それよりチェックインの16時までをどうしようかとマタマタ、ウロウロ。
東口の方へ歩くと駅舎に併設された岡山コンベンションセンタービルがあり岡山シティミュージアムの案内が見えます、と言う訳で、ここで時間をつぶすことにして見学、65歳以上は無料。
岡山の常設展示と岡山空襲の記憶と言う特別展示をやっていました。
岡山空襲の記憶では大東亜戦争末期に日本各地を焼き尽くした焼夷弾とそのレプリカも展示されていて思わぬ収穫のあった展示を観る事ができました。
そうしてユックリ3時間を消化して東横イン岡山西口へ折り畳みの頼りない傘をさして歩く事10分~15分でしょうか、やっぱりびしょ濡れになってのチェックインでした。
やれやれ!あっ昼飯も食べていない、晩飯はどうしよう。
結局は又、頼りない傘をさしてのコンビニ探しと相成り、台風19号に見舞われた岡山1泊の1日でした。
こう言うときはスマホが良いんだろうねえ~、ガラパゴス携帯では検索が出来ない、でもなあ~スマホにしたところで、その機能の半分も使わない、いや使えないかもしれなし・・??
翌日は台風一過、岡山から高知行きの南風に乗って善通寺に、やれやれ、結局3泊4日の旅行となったのでした。
過日のアメリカ東海岸旅行、ハワイ旅行そして今回とアクシデントが続きます、厄災は俺?かなあ~