2015年7月14日火曜日

オリジナル金属ゼロへの挑戦 10/  キャノピーの製作

Ⅳ】胴体の製作 1/

【Ⅳ】-1 キャノピーの製作

 完成写真


 模型趣味仲間の友人が言います・・キャノピーはどうやって作るの!?

 模型作りの手順としては右の主翼を完成し左主翼を完成し、それから胴体作って、と進めて行くのが普通かと思うのですが何せ「オリジナル金属ゼロへの挑戦」しかも最終的にはラジコンとして竣工させ飛ばそうと言う、ど素人には無謀な挑戦ですから製作に困難と思える部分から作り、その困難ハードルを越える事でゴールが見えてくる、そんな風に考えているのです。

 と言う訳で友人が心配するキャノピーを作ってみる事にしました。

 キャノピー(Canopy)何でもインターネット検索で・・と言う訳で、その意味を調べると航空機等の操縦席の風よけの覆い、主に透明なアクリル樹脂や強化ガラス製のもの、と記載されています。

 プラモデルやラジコン飛行機等を趣味とされている方には日常語であると思いますが海軍航空技術廠の研究実験成績報告書にある零式艦戦図面集成では「遮風装置」と表記され前面部分を風防・中央部を天蓋中央部・後部を天蓋後部と説明しています。

 海軍航空本部編集の零式艦上戦闘機 取扱説明書では座席装置と表題があり風防として項目を表記し前面部分を遮風板・中央部を移動風防・後部を風防後部と説明しています。

 つまり用語の統一がなされていない!?何やら当時の縄張り意識みたいなものを感じてしまいますね。

 では海軍航空技術廠の要領図は


 海軍航空本部の取扱説明書は


 遮風装置要領図で、この投影図が1/20となっていて、20枚の図面があるのですが購入した図面集ではこの1枚(投影図)しかありません。

なので1/10縮尺の投影図を書き次に展開図を書くところから作業を始めました。

 友人が心配したのは曲面のガラス窓はどうするの!?と言う疑問からだと思うのですがその友人がモデラーの世界ではヒートプレスと言う手法があるらしい?と情報をくれましたので早速インターネットを検索。

 いやあ~!!驚きです、ペットボトルを材料としてヒートガンつまりヘアードライヤーの熱源を強力にした工業用熱風送風機を使うのですが。

 何と!動画もありまして・・正に感動ものですね、ペットボトルの中にキャノピー型を挿入しヒートガンで熱風を当てて行くと見る見る収縮して型枠にピッタリ張り付いていくのです。

 これかあ~目から鱗とはこう言うこと!?先人のオタク様・・有難うございます。
 早速、ヒートプレスなる手法を真似てトライしてみましょう。

 えっ!ヒートガンはあるのかっ?そんな物ないですからヘアードライヤーを使ってやってみます。 興味のある方はヒートプレスをキーワードにインターネット検索を。

 型枠の製作をしましょう。

 遮風装置要領図のA-A断面、B-B断面、C-C断面そしてD-D断面の紙型を作り
紙粘土を素材としてキャノピー型つまりモックアップの製作をしました。


 木材と型紙を使いキャノピーの縮尺1/10型枠を作りました。

 接着に木工ボンドと窓枠を書いた紙を貼って解りやすくしたつもりだったのですが何とこれが裏目に出てやり直す結果になるとは。

 型枠と型紙そして小学校教材の紙粘土



 型枠の中に紙粘土を詰め込み型紙を当てながら成型をする。

 ここで失敗談①ですが紙粘土の水分で木工ボンドが解けて型枠がバラバラにそして窓枠を書いた紙も糊が剥がれて紙粘土を固定する事が出来なくなった。


 バラバラになった型枠を耐水性・屋外仕様のセメダインPM165-R接着剤を使用して再作業をおこなった。



  失敗談②ですが
(1)  当然ですが紙粘土は水分を多く含んでいますから乾燥すると縮むのですね、なので 縮んで完全に乾燥したモックアップに再肉盛りを数回繰り返し実施する必要がある。
 
(2)  寸法通りのモックアップにするとヒートプレスしたプラスチックに余裕がなくなり後処理が難しくなる。作り直しをする根気が無く今回は続行してしまいました。
 
(3)  ヒートプレスしたプラスチック部品の完成度は当然ですがモックアップの精度に影響しますので平らなところは平らに磨き込む必要がある、つまり手を抜くと正直に完成品の精度に反映される。


 窓枠展開図 (風防)海軍航空技術廠の要領図での用語を用います


 窓枠展開図 (天蓋中央部)

こで発見したのですが開閉させる意味で摺動(しゅうどう)ス、と書いてあるのですが

図面では躍動(やくどう)スと書いてあるのです・・?

 窓枠展開図 (天蓋後部)

窓枠展開図を貼りモックアップの完成


 ヒートプレス作業

 ペットボトルの底と口部分をカッターで切り取り中にモックアップを入れヘアードライヤーで熱風を吹き付けるとペットボトルが見る見る縮んで張り付いて行く。


 こんな感じです


 冷えるのを待ちカッターナイフで余分な部分を切り取って完成させる。

 コツとしては写真の様にペットボトルの内径に隙間なくギリギリに下駄を詰め込み熱風を当てる事でしょうか隙間が在り過ぎると縮んでも密着して張り付かない事になります。



 何回も失敗してペットボトル飲料水を計10本は飲んだかなあ~


 展開図により0.2mmアルミ材から窓枠(アルミサッシですね)を切り出しモックアップに重ねられたプラスチック窓に両面テープを使って貼ります。


 前面の風防にも同様にアルミサッシを貼り付けたのですが天蓋部分の曲面は旨く行ったが前面がプラスチックの凸凹で如何とも歪みが気に入らないなあ~


 と言う訳で前面はアルミサッシを折り曲げて作り強度を持たせ平らなプラスチック板をガラスの如く貼り付ける方法に変更する事にしました。


 ヒートプレス成型のプラスチックは後部のみとし前面は窓枠展開図で0.2mmアルミサッシを切り取って折り曲げて作成した。


 歪んだ前面ガラスウインドウ風防(右と)変更後の風防(左)


 如何でしょうか拘りのウインドウです。
 

 天蓋中央部 摺動ス・・・そして移動風防 

 0.2mmアルミによる本体側摺動(移動)レールと天蓋中央部の摺動(移動)金具の製作。



 完成写真



 ご参考:取扱説明書には前面の3枚と中央の前側面の2枚が強化ガラスであとはプレキシ硝子となっています、このプレキシ硝子ってアクリルガラスの事なんですね

 この時代にアクリルが有ったなんて驚きです又、前面の強化ガラスも・・昔の窓硝子って歪んでいましたよねえ~!?ゼロ戦が使用した強化硝子ってどうだったんだろう??
 でも明治維新から僅かしか時間が経っていないのに日本人って凄い!!

 次はエンジンカウリングに挑戦するつもりですが果たして8月号に公開できますでしょうか。

 正直なところは・・・甚だ疑問!?と本人は思っているのですが。

2015年7月11日土曜日

5人爺さん・高知へ行って食べる本場の初ガツオ旅

“朋遠方より来る有り、亦楽しからずや”論語なんて読んだ事も有りませんし何で知ったのかさえも分からないで書いていますが放射線治療が終わって副作用の症状も無く日課のウオーキングも10000歩/日に戻った日に会社OBの爺さん達が私の快気祝いだ!と称して四国は善通寺に来てくれました。

 “仲の良い友人とともに酒をくみかわし歓談する”孔子さんの喜びと同じ喜びを味わえるなんて感謝しなければいけませんね
 メンバーですが先輩で東京は八王子に住むロク爺さん・広島で共に働いたシゲ爺さん・生まれも育ちも東京なのに何故か九州は大分県日田市を終焉の地と決めたカズ爺さん、そして一番若く名古屋の会社で未だ頑張って働くヨウイチヤング爺さんとの呑み旅行です。

 勿論、何時もニコニコ割り勘旅行・・・これが長続きの秘訣ですかね、それも皆さんの遠地から善通寺までは自費ですから、お金をつかって来てくれて・・有り難い事です。

 5人爺さんメンバーとは2011年10月に広島(原爆ドーム)→呉(大和ミュージアム)と観て松山は道後温泉に宿泊し松山城・坂の上の雲ミュージアムを観光した仲間ですが、あれから早4年・・うう~ん・・早いっす

 四国が良いと拘ったのはロク爺さんですが、さくら爺の所へ行くぞ、四国は何処が良い?そんな相談があって・・この時期!?高知の初ガツオだろうとなった訳です、本場の初ガツオメインの飲み懇親が目的ですから高知の宿泊はビジネスホテルそして翌日はちょっと贅沢に「こんぴら温泉」に泊まろう!?決めたのはこれだけで後は成り行きの旅行です。

 高知のホテルと「こんぴら温泉」手配はさくらじいが、初ガツオの店と四国内移動のレンタカー手配はシゲ爺の担当です。

 海外旅行と違って国内は成り行きで旅行が出来るのが良いね、何せ成り行き思い付きで行動する団塊世代ジジイの集団ですからね。

 シゲ爺がJR高松駅に在るレンタカー会社から日産の7人乗りワゴンを借り同駅で待ち合わせたカズ爺とヨウイチヤング爺を乗せ高松空港に到着したロク爺をピックアップ。

 高松空港~善通寺の我が家までは40分ぐらいの距離ですが途中、道の駅で讃岐うどんを昼飯にして我が家に到着したのでした。

 家に上がってコーヒーでも飲む?と言ったのですがコーヒーも飲まずに一路、善通寺インターから高速に乗って高知へGO・・・5人爺さん旅の始まりです。

 レンタカーを運転するシゲ爺が・・このメンバーの中でシゲ爺の運転が一番確かで次はヨウイチヤング爺でしょうか・・高知の何処に行く!?

 うう~ん、龍馬さんに挨拶をしないと・・


 到着したのが桂浜です、特に何もなく坂本龍馬の銅像があるだけなのですが先ずは坂本
龍馬さんに挨拶。  

太平洋はちくっと広いぜよ!と言われた様な??



 もう何十年も前に来たことがありますが当時と違うのは龍馬さんの目線で太平洋を眺める事が出来るようにと建築現場の足場で組んだ簡素な特設展望台が銅像に併設されている事でしょうか、一人100円でした。


同じ目線で観た太平洋、地球は丸いんだなあ~水平線が丸く見えます。


 場所を替えて下竜頭岬の展望台から同じ太平洋を眺めます。やっぱり丸い!?


 龍馬が思ったか定かではありませんがその目線の先はUSA


 お土産屋さんもありましたが特に見るでもなく・・そうだねえ~爺さん集団ってこんなものかもしれません。

 時間も午後4時をまわり丁度いい時間だね、と今日の宿である“はりまや橋”近くのビジネスホテルへ移動、ここでシゲ爺に替わってヨウイチヤング爺が運転手。


 ヨウイチヤング爺さん以外は皆さん年金暮らしで大名旅行は出来ませんから1日目はビジネスホテルで良いんじゃないのお~と・・何はさておき第一目的の初ガツオを食べに行きましょう。

 店の場所をホテルの明るい笑顔で可愛い顔をした従業員に聞いて・・だいたい、こう言う役目はシゲ爺さんとヨウイチヤング爺ですね。


 高知の街を歩いて目的の店へ


 未だ働いているヨウイチヤング爺がシャッターを切りました、残り4人は年金暮らしだから顔が判るけど・・暗いし、まあ~いいっか!?


 初ガツオのタタキを一番に注文して・・ええ~と次は・・高知でしか食えない物を食って生ビールから日本酒に変って・・喋って笑って三時間程でお開きに。

 今日は特別の日ですから多少のカロリーオーバーはご勘弁と言ったところでしょうか皆さんも同じだと思いますが、それでもやっぱり皆さん歳をとりましたなあ~適度な満腹感とほろ酔いでのお開きです。

 5000円/人の御勘定を割り勘で払い、店の前でパチリ、如何でしょうか正に円熟した大人の飲み会・・・!?でしょう。

ムム!お一方、お腹の出具合がちょっと心配です。

 帰りの道中にはりまや橋があります、つい数年前までは橋の欄干だけだったのですが(^^♪土佐あ~のお~高知のはあ~りまやば~あ~しで(^^♪と謳われて宣伝しているのに欄干だけかい!?と観光客の苦情が多かったらしく現在の「はりまや橋」下は川の様に整備されて公園になっているのです。


 ここではお土産を買いました、流石にかんざしはねえ~、サンゴのかんざしは高価です。


 出張の多かったサラリーマン時代、その習慣が抜けずにホテルに戻ってから、さくら爺の部屋に集まって500mmℓ缶ビールをプッシュ‐・・このビジネスホテルはコンビニとのコラボになっていてホテルにコンビニが併設しているのです、どうも朝飯はコンビニから続くレストラン??食道でと言う事らしい。
 
 適度な酒量で二日酔いも無く二日目は、やっぱり高知城は観なければと早い時間にしかも平日なのですが既に多くの観光客が天守を目指して歩いています。

  駐車場に車を置いて先ずは大手門


 これは誰でしょう??・・板垣死すとも自由は死せず・・板垣退助さんの銅像でした。

 そうですよね、このお方も土佐藩士でした。


 高知城を見学・・山内一豊が徳川家康から土佐一国を拝領し築城した、このお城ですが築城当時の天守です。

 写真が小さいしサングラスをかけているし・・


 石鎚山を観たあ~い!とロク爺さんは言っていたのですが時間が限られる事等の制約もあって断念し結局は高知市から国道32号を走りラフティングで有名になった吉野川が流れる大歩危から入った山奥は平家落人の地、祖谷のかずら橋を観に行くことにしたのです。


 この、つる植物(かずら)で作った吊り橋ですが遠目には何てことは無い様にみえるのですがイザ!?お金(500円)を払って渡り始めると!これが足元の隙間から谷底を見てしまい足がすくんで思わず!?蔓のかずらにしがみついてしまうのです。


 片道500円!ちょっと高いなあと最初は思うのですが、まあ一方通行で良かった!往復となると帰れない人が続出ではないかと?

 写真で見ると秘境なのですが今は観光地として外国の人も多く大きな駐車場も整備されています、20年ほど前はホンマに秘境だったのですけれどもねえ~


 谷川に降りる事も出来ます、流石に水はきれいです。


 大きな駐車場を出て次は大歩危のレストラン「まん中」で昼飯にしましょう。



 この辺は妖怪変化伝説の里と言う事で鳥取県の境港市に続く世界妖怪教会「怪遺産」認定をされているとか(こんな話が有名になるとマタゾロ韓国政府がイチャモンをつけてくるかもしれませんね)

 と言う事で大歩危のレストラン「まん中に」こんな切り紙がありました。

 因みに、ここには四国の秘境山城大歩危妖怪村があるそうです、同行の皆さんは興味が無かったのか気が付かなかったのか一言も話題にはなりませんでした。


 それよりも川下りをしよう!ヨウイチヤング爺は前回来た時に出来なかったから行こう行こうと皆をせかします・・・ほんじゃあ~乗るか。

 レストランの下から船着き場に下りる感じですが行きはよいよい帰りは怖い・・。


 ここはゴムボートで激流を下る競技のラフティングが有名な所で過日のニュースでは大歩危でラフティング世界大会を・・招致委が発足と報じていました。

 決まれば日本初の開催で70チーム700人規模の大会になるのだそうです。

 大会が開催されてからでは観光客が殺到しこんな気軽な川下りなんてできません、これは今がチャンスかも。

 水しぶきが顔を濡らす激流!?を想像しましたが、これは年齢制限のない観光川下りですから穏やかな流れを下って数100メートル、そうして船外機を使ってUターン・・戻ってくるのです。それでもライフジャケットの着用は必須です。


先に出帆した船がUターンして船着き場に戻っていきます。


 船から見える土讃線、高松~高知のJR土讃線ですが徳島池田~高知伊野町までは吉野川沿いを走っていると思うのですが。

 こんな所を走るのですから台風や大雨が降ると止まってしまいます、国道も同じ様な条件ですから大雨による通行止めなんてざらですね。

 もうだいぶ前になりますが繁藤の土砂災害は記憶に残っています。


 ラフティング競技が開催される程ですから水量はこんなにも豊富です。

 大雨が降ると一気に10m単位で増水するとか!?


 大歩危から1時間ぐらいでしょうか琴平町の「こんぴら温泉」に到着。

 ひとっ!風呂を浴びて会食に。


 ここでも喋って笑って3時間・・やっぱり2時間じゃあ短過ぎる!3時間くらいが丁度いいね、勿論その後は部屋で缶ビールをプッシュ‐・・言うまでもありませんが。
 
 夜も遅くなった9時過ぎにヨウイチヤング爺が外へ行こう!?言います。

 ここは何も無いよと言うのですがどうしても出てみたい・・どうですう~やっぱり何もないでしょう。


 ここは温泉と言っても金刀比羅宮の御参り客が殆どですから店は閉めるのが早いです。

 そうして今日も早めの就寝でした・・・・皆さん・・やっぱ爺さんになったねえ~

 そのぶん朝は早い!朝飯前に金刀比羅さん詣でを済ましてしまおう・・朝5時です。

 観光客も殆どいない超早朝の参道を5人のジジイが歩く。


 さあ~て、ここから悩む手前・・なやむてまえ・・786手前??そうここから本殿までは785段の石段を登らなければなりません。

 
 因みに金刀比羅さん奥社までは1368段もあります、行くウ!誰もそんな事を言う爺さんはいませんでした、私も行った事がありません。

 金刀比羅宮は大麻山(象頭山)の中腹に在る海運の神社ですが琴平の参道から登って金刀比羅宮本殿そして奥社と峰を歩き反対側を下山する、そんな大麻山縦走をしようかな!と女房に言ったら遭難したら恥ずかしいので止めてくれ!と一言。

 一歩一歩ゆっくりと登るのがコツですね、先はまだまだ長いです。

 まだまだ!?


 やれやれ!やっと本殿に到着です、先ずは・・二礼二拍手一礼・・


 本殿の在る所から琴平町・讃岐平野を見下ろす・・遠くに見える三角形の山が讃岐富士と呼ばれる標高421.9mの飯野山です。ロク爺がパチリ。


 温泉旅館の部屋から琴平電鉄の琴平駅が見えました
 この電車は琴平から高松築港まで凡そ1時間で走っていますが因みに、さくら爺も7年にもなりますか!通勤電車として利用させて頂きました。

 
 旅館の前で仲居さんにシャッターを押してもらって・・パチリ・・集合写真を撮りました。

 ふと!?後ろを見ると歓迎の中に我々の名前もあります・・気が付かなかったなあ~


 琴平から10分も走ったら善通寺です。

 善通寺で観るところは?と言いますので善通寺(地元の人は親しみを込めて“お大師さん”と言います)かなあ~、自衛隊の乃木館もあるよ!と言ったのですが結局は弘法大師(空海)生誕の善通寺をお詣する事にし、ロク爺とカズ爺は初めてなので本殿の後に弘法大師御影堂の地下に在る真っ暗闇の戒壇巡りをして弘法大師の有り難い講和を聞いて身を清めたのでした。

 さてレンタカーを返す時間が迫ってきました、ジジイの集団ですから、ここは余裕をもって移動すべき、でも最後にやっぱり本場讃岐うどんを食べないと・と旅館で朝飯を食べたばかりなのですが、これは別腹と釜揚げしかない店で徳利に入ったアツアツのイリコだし汁を茶碗に注ぎ釜揚げされたうどんを食べて満足!満足!。

 いよいよお別れです。

 皆さん遠い所から有難う・・では又会う日までお元気に。

 次は海外がいいねえ~とヨウイチヤング爺が言います・・・ですね。

 ご参考です。

 今回、川下りをした吉野川ですが一級河川で愛称は四国三郎です、因みに長男は坂東太郎と言う名の利根川で次男は筑紫次郎と言う名の筑後川です。

 現役時代に会社の重役が年始に来て徳島の吉野川を渡ると異口同音に言います・・この大きな川は何て言う川?

 そこで四国三郎・吉野川です・・と言うと!なあ~るほど・・じゃあ長男は?次男は?と必ず続いて質問をされます・・私も最初は・・ええ~と・となっていました。

 このブログを四国で働く現役の若い皆さんで見る機会がありましたら!これは知っておいた方が役に立つと思いますぞ!

 では今回はこれにて失礼します。