2015年9月22日火曜日

オリジナル金属ゼロへの挑戦 12/ エンジンカウリングの製作

『オリジナル金属ゼロへの挑戦 12/ エンジンカウリングの製作
【Ⅳ】胴体の製作 3/ 
【Ⅳ】-2 エンジンカウリングの製作 2/2

 さて、スーパー職人さんの物まね!?ナンチャッテへら絞りですが向きを変え、押し当てる方向を変えトライする事何十回!?と言いたいところですが、そこは諦めの早いジジイ
ですから三回程で諦め次なる方法はないか!?と考えた訳です。

 先ずはスクラップとなったナンチャッテへら絞りの残骸と言うかスクラップ


 うう~んん!?何か良い方法はないか・・ウオーキングしながら考えて、晩酌の0.8合を飲みながら考えて、布団の中で考えて・・・。
 この考えて!?と言うのが意外と楽しいと言うか充実すると言うか、特に布団に入って目を瞑り何か良い方法はないかなあ~と考えていると何時の間にか寝てしまっています。
 話は本題から外れますが夜眠れないで困っている方は試されたら如何でしょうか。
 考える事は楽しいと思う事が良いですね、マイナスの思考では逆に覚醒作用をもたらしてしまうでしょうから。
 何て!的外れな事は置いておいて本題に戻りますが、結論としてはへら絞りの金属を絞って延ばすと言う事と、短冊の張り合わせの両方を合わせてやったらどうだろう!?
 まっ!折衷案ですね、民主主義の基本です。

 では結論から、こんなふうに出来ました。
 どうでしょうか、これなら何とか採用品として使えるかもしれません。 

 正面斜めから

 
 裏面はこの通りで、妥協家ジジイですから、これでいこう!!と結論付けるのに十分です。


 この際ですから、この手法をへら絞りならぬ『へらシゴキ』と呼ぶ事にしました。
 短冊になった0.3mmアルミ板を“ゴシゴシ”とへらでシゴクのです。
 では、へらシゴキ?とは。

 平たいアルミ板をゴシゴシと延ばす気持ちでシゴクと板が反ってきます、この反りを利用するのですが、ああ~これは胴体と主翼や水平尾翼そして垂直尾翼の付け根などの湾曲した成型にピッタリです、因みにこの湾曲はフィレット(溶接用語)と言うのだそうです。



 このへらシゴキですが、やはり限度があってカウリングの様な三次元形状は難しく材料の大きさを変えカットアンドトライをしながらの製作でした。
 カウリング前縁の湾曲した成型は幅2cm強のドーナッツ円盤が限度でしたが、これが出来た事で実現できそう!?と思えたのです。



 これでやれる!と言う光明が見えましたので1/10製作図を書くのですが海軍航空工廠の発動機覆線図だけでは詳細形状と寸法の把握ができません。
 そこで寸法は入っていませんが形状の詳細がある程度解る海軍航空本部編纂の取扱説明書の図を参考にし、発動機覆線図の寸法を基準にして作図しました。

 海軍航空本部編纂 発動機整流環(成る程!エンジンカウリングは整流環と呼ぶのか)

 1/10 製作図 全体図


 1/10 製作図 前部短冊展開図と発動機整流環緊締装置


 1/10 製作図 後部円筒・7.7mm機銃弾路溝・気化器空気取り入れ装置
      展開図


 前部短冊の加工成型
 切り出した短冊状のアルミ板をへらでシゴキある程度の湾曲を得る。


 市販のパイプ固定用環を用いて木型に固定し木型に沿ってへらでシゴキ成型をする。


 カウリング前縁環を重ねて更に成型をして形を整えていく。



 裏面からアルミ粘着テープシートで合わせ面を固定し前部円と後部円に補強材を超強力両面テープで貼り付ける。
 裏面からへらを使ってシゴキながら仕上げ成型を行う。


 1/10製作図に従って整流環緊締装置により材料を繋ぎ作った後部円筒を前部に組み合わせる。

 前部の整流環緊締装置はダミー(飾り)として取り付けた。


 補強リングと両面テープにより繋ぎ合わせる


 気化器空気取り入れ装置の製作、これもへらシゴキにより成型を行う



 7.7mm機銃弾路溝を取り付ける


 気化器空気取り入れ装置を取り付ける


 エンジンカウリングの完成です。






 ディアゴスティーニの1/16金属ゼロ戦カウリングとの比較ではこうなります。


 湾曲を伴い最大の難関と思われたエンジンカウリング、妥協ですが何とか完成に漕ぎ着けました。

 さあ次なるチャレンジは胴体前部です。

 ご参考 海軍航空本部 編纂 取扱説明書 零式艦上戦闘機から抜粋





高野山巡り旅のプロローグ

 昨年は「3連休のお伊勢参り」と題して式年遷宮後のお伊勢参りに行ったお話を致しましたが今年の10月3連休は会社OB会の同メンバーで「世界遺産 高野山巡り」宿坊に泊まって精進料理を食べ写経をしましょう・・・なんて!?今度は仏様への祈願旅を計画しているのです・・・・勿論ですが般若湯はオーケーの確認済です。
 何ですなあ~“俺は無信心”と突っ張っていても歳をとると自分の健康に自信が持てず又、鬼籍に入った親戚兄弟そして知人を想うにつけ神様・仏様に手を合わせたくなるのは自然成り行き、誰しもがそうなのでしょうか。
 善通寺市に住むようになって10年、65歳を過ぎた初老の爺さんが糖尿病対策にと始めた善通寺境内を通るウオーキングルート、善通寺市民が“お大師さん”として親しんでいる善通寺ですがご本尊の「薬師如来」様は衆生の病気を治し安楽を得させる仏様と言う、そんな説明を聞いてからですが病気を患った私にとっては縁ある仏様となってウオーキングの都度、立ち寄り手を合わせる事が習慣になったのです。

 東院正門(五岳山)右に五重塔、正面奥が本堂です。


 その善通寺ですが『弘法大師空海 御誕生の霊跡』として又、四国遍路 第75番札所 総本山善通寺と言い伽藍(東院)と誕生院(西院)から成る大きなお寺です。


 総本山 善通寺のパンフレットでは

 弘法大師空海は、ここ善通寺で御誕生されました。
 父君・佐伯善通(さえきよしみち)卿の名をとって「善通寺」と号されました。
 この伽藍にある大楠は、お大師様の著書に記される「豫樟(クスノキ)」と伝えられ、まさにこの地がお大師様の生まれ育った場所なのであります。
 また、誕生院には、お大師様をおまつりする御影堂を中心に諸堂が立ち並んでいます。
 和歌山・高野山と京都・東寺とともにお大師様の三大霊跡であり、四国霊場第七十五番札所でもあります。

 と説明されています。

 ウオーキングで遭遇した朝のお勤め風景ですが右は数メートルの薬師如来坐像が居られる本堂です。


 豫樟(クスノキ)


 護摩行(供)も行われます、勿論ですが私も名前と全快を願って祈願して頂きました。
 護摩木は・・確か500円だったかと。


 ここが弘法大師空海の御誕生所、御影堂です。


 お生まれになった時の絵ですね。画家さんの奉納絵でしょうか。


 そして高野山 開創の絵ですね。


 東院から西院に向かう御影堂への回廊に10枚ほど掲げられています。


 殆ど毎日、お遍路さんの姿があります。


弘法大師祭りもあります。


 お堂や回廊には彫刻を見る事ができますが、塩飽諸島に居た海賊の船大工が江戸時代になって戦がなくなり又、勝手に船を作れなくなってこの様な彫刻を彫って生業にしたと何時でしたかTVで放映していました。





 9月の5連休、秋晴れで気温25度のウオーキング日和、何時もの善通寺境内を歩きふと上空を見ると綺麗な青空の中に白い雲が疎らに浮かんでいます。
 ああ~秋って良いなあ~10000歩/日ノルマのウオーキングもこう言う日は気持ちが良いです。


 10月連休の高野山巡り旅、お願いするのはやっぱり病気退散!健康の享受ですね。

 そうそう、過日ですが実家の義理親父さんを病院へ連れて行き爺さんの診察中に待合でウトウトとしいていた時の事です。

 車椅子に座っていたお婆さんに腰の曲がったお婆さんが近づき話しかけています。
 あんた~ナンボになったんや・・すると車椅子に座っているお婆さんが87歳や、と言います。
 腰の曲がったお婆さんが言います・・若いなあ~・・わしゃあ~99じゃあ~・・・!!

 ひゃあ~~凄いなあ~あのお婆さんから見たら67歳なんてハナタレ小僧です。

 因みに我が女房実家の両親はお婆さんが87歳そしてお爺さんが86歳ですから67歳なんてとてもお爺さんとは呼んで頂けませんね、やっぱ!ジジイでしょうかクソジジイ!?と呼ばれない様に、そしてお爺さんと呼ばれる年齢まで頑張りましょう。

 その為には高野山で・・お金はいりません!健康を享受できます様に・・・とお願いしてきましょう。

 


 善通寺、東院から西院の境にあるお堀ですが蓮の花が咲いていました。