昨年は「3連休のお伊勢参り」と題して式年遷宮後のお伊勢参りに行ったお話を致しましたが今年の10月3連休は会社OB会の同メンバーで「世界遺産 高野山巡り」宿坊に泊まって精進料理を食べ写経をしましょう・・・なんて!?今度は仏様への祈願旅を計画しているのです・・・・勿論ですが般若湯はオーケーの確認済です。
何ですなあ~“俺は無信心”と突っ張っていても歳をとると自分の健康に自信が持てず又、鬼籍に入った親戚兄弟そして知人を想うにつけ神様・仏様に手を合わせたくなるのは自然成り行き、誰しもがそうなのでしょうか。
善通寺市に住むようになって10年、65歳を過ぎた初老の爺さんが糖尿病対策にと始めた善通寺境内を通るウオーキングルート、善通寺市民が“お大師さん”として親しんでいる善通寺ですがご本尊の「薬師如来」様は衆生の病気を治し安楽を得させる仏様と言う、そんな説明を聞いてからですが病気を患った私にとっては縁ある仏様となってウオーキングの都度、立ち寄り手を合わせる事が習慣になったのです。
その善通寺ですが『弘法大師空海 御誕生の霊跡』として又、四国遍路 第75番札所 総本山善通寺と言い伽藍(東院)と誕生院(西院)から成る大きなお寺です。
総本山 善通寺のパンフレットでは
弘法大師空海は、ここ善通寺で御誕生されました。
父君・佐伯善通(さえきよしみち)卿の名をとって「善通寺」と号されました。
この伽藍にある大楠は、お大師様の著書に記される「豫樟(クスノキ)」と伝えられ、まさにこの地がお大師様の生まれ育った場所なのであります。
また、誕生院には、お大師様をおまつりする御影堂を中心に諸堂が立ち並んでいます。
和歌山・高野山と京都・東寺とともにお大師様の三大霊跡であり、四国霊場第七十五番札所でもあります。
と説明されています。
ウオーキングで遭遇した朝のお勤め風景ですが右は数メートルの薬師如来坐像が居られる本堂です。
豫樟(クスノキ)
護摩行(供)も行われます、勿論ですが私も名前と全快を願って祈願して頂きました。
護摩木は・・確か500円だったかと。
ここが弘法大師空海の御誕生所、御影堂です。
お生まれになった時の絵ですね。画家さんの奉納絵でしょうか。
そして高野山 開創の絵ですね。
東院から西院に向かう御影堂への回廊に10枚ほど掲げられています。
殆ど毎日、お遍路さんの姿があります。
弘法大師祭りもあります。
お堂や回廊には彫刻を見る事ができますが、塩飽諸島に居た海賊の船大工が江戸時代になって戦がなくなり又、勝手に船を作れなくなってこの様な彫刻を彫って生業にしたと何時でしたかTVで放映していました。
9月の5連休、秋晴れで気温25度のウオーキング日和、何時もの善通寺境内を歩きふと上空を見ると綺麗な青空の中に白い雲が疎らに浮かんでいます。
ああ~秋って良いなあ~10000歩/日ノルマのウオーキングもこう言う日は気持ちが良いです。
10月連休の高野山巡り旅、お願いするのはやっぱり病気退散!健康の享受ですね。
そうそう、過日ですが実家の義理親父さんを病院へ連れて行き爺さんの診察中に待合でウトウトとしいていた時の事です。
車椅子に座っていたお婆さんに腰の曲がったお婆さんが近づき話しかけています。
あんた~ナンボになったんや・・すると車椅子に座っているお婆さんが87歳や、と言います。
腰の曲がったお婆さんが言います・・若いなあ~・・わしゃあ~99じゃあ~・・・!!
ひゃあ~~凄いなあ~あのお婆さんから見たら67歳なんてハナタレ小僧です。
因みに我が女房実家の両親はお婆さんが87歳そしてお爺さんが86歳ですから67歳なんてとてもお爺さんとは呼んで頂けませんね、やっぱ!ジジイでしょうかクソジジイ!?と呼ばれない様に、そしてお爺さんと呼ばれる年齢まで頑張りましょう。
その為には高野山で・・お金はいりません!健康を享受できます様に・・・とお願いしてきましょう。
善通寺、東院から西院の境にあるお堀ですが蓮の花が咲いていました。
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