最近ですが陸上自衛隊善通寺駐屯地入口にある広報版の下に新しく「乃木館入口」と言う看板が掲げられています。
ここには旧陸軍の第11師団司令部として建築された庁舎が当時のまま保存され現在は1階を陸上自衛隊第14音楽隊が使用しているものの2階は資料館として一般に公開されています。
善通寺に住んで9年目になるのですが日々のウオーキングで一度は観なければと気になっておりまして9月に入り秋晴れの金曜日に急に思い立って見学して参りました。
当日もウオーキングの途中で麦わら帽を被り半袖半ズボンそしてウオーキングサンダルを履いたオッサン!ズカズカと門を入って行くものですから守衛の隊員に一瞬、怪訝な顔をされましたが、乃木館の見学をさせて下さいと言うと笑顔で応対をしてくれました。
来館名簿に名前、住所電話番号を記入。
来訪の恰好が恰好でしたので“何時ものウオーキングで気になっていたものですから”
と一様の体裁は整えて話をしますと乃木館では担当の説明員が案内します、ごゆっくりと言ってくれました。
門を入り真っ直ぐに進むと明治に建てられた威厳ある旧陸軍第11師団司令部庁舎が見え守衛隊員から連絡があったのでしょう入口前に夏の制服を着た、そう歳の頃30歳前後の若いイケメン隊員さんが待っていてくれました。
見学者はジジイの私だけでしたから専属の説明案内員と言う訳です。
こんな格好ですからねえ~、恰好を気にしなくなったのはやはり歳をとってジジイになった証でしょうか。
玄関を入ると正面が2階に上がる中央階段になっていて左の壁面に最近撮影されたのだろうウエディング姿の花嫁と婿殿の写真が数枚飾られています。
ここは結婚写真の撮影でも開放しているのです、成る程!この中央階段での撮影は
雰囲気はあるかも。
この階段を上ると「乃木資料館」となります。
乃木室(師団長室)です。
初代師団長の乃木将軍が執務をした部屋で、当時の面影を残すよう配置している、そして机や椅子は乃木将軍が実際に使用していたものです、とパンフレットには書かれています。
椅子は二脚並べてありますが乃木将軍ご愛用の椅子は右側の物です。
将軍 乃木希典については書籍や手軽に検索できるインターネットで知って頂けばいいのですが特に「坂の上の雲」で司馬遼太郎が評する愚将と言う印象は乃木神社として祀られている事からも善通寺市においてはないですね。
まあ、分厚いコンクリートで作られた堅牢な要塞から連射される弾丸に向かって突撃を繰り返し将兵が消耗する様を映画などで印象付けられていたからかもしれませんが坂の上の雲を読み一旦は“”そうだよなあ~と思っていましたが善通寺に住み乃木神社を参拝しそして乃木将軍が善通寺村(当時)での宿舎とした「金蔵寺」での逸話などを聞くに及び何時の間にか人間乃木希典と言う武人に対する畏敬の念を持った自分に気づかされます。
歴代将軍の写真ですが初代が乃木希典中将そして、えっ!と思ったのが旅順攻囲戦での第11師団参謀長であった伊地知幸介少将が中将となって6代目の師団長になっているのです。
伊地知師団長は明治41年~43年と言う事で明治37年、参謀長として参加した旅順攻囲戦の後に就任しているのです。
何れの批評はあるでしょうが司馬遼太郎「坂の上の雲」はサラリーマン諸氏必読の書籍ではないでしょうか。
他に太平洋戦争での“特攻”に関する資料や当時の小銃そして拳銃など多くの資料が展示されていました
一回りし専属で案内と説明をしてくれた若いイケメン隊員さんに“有難う”とお礼を言って辞去となるのですが因みにジジイが入った写真のシャッターを押してくれたのも担当してくれた隊員さんです。
ホンマに変な恰好をしたオッサンいやジジイに付き合って頂き有難うございました。
この敷地には退役した装備の展示もあり、ここは自由に見て触って写真を撮る事が出来ます。
最後に、この日は秋晴れで青い空に一朶の雲が点在していました。
暑い!暑い!と口癖のように言っていた季節ももう終わり世間で言うスポーツの秋がやってきます、暫くは使用温度範囲の狭くなったジジイの身体も楽に過ごせる季節です。
善通寺市で見聞きする乃木将軍については後日のブログでお話しましょう。
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