2014年12月24日水曜日

磨臼山(すりうすやま)

♪金毘羅 々 追風に帆かけて
  シュラシュシュシュ
  まわれば 四国は
  讃州那珂の郡
  象頭山
  金比羅大権現
  一度まわれば♪
  ・・繰り返し・・

 お座敷遊びなんて経験はないのですが恐らく昔はお座敷に芸者をあげて唄われたであろう歌詞にある象頭山は昔から観光地として広く知られ過の森の石松も詣でた金刀比羅神社がある山です。
 家の窓からも見える象頭山ですが、その手前にある標高121mの小山が今回、ブログの題材とさせて頂いた「磨臼山」なのです。


 終の棲家とした我が家の庭から見える奥の山が象頭山(象の頭と鼻にみえませんか?)で手前に在る低い山が「磨臼山」です。


 善通寺市の農業は米と麦の二毛作で家の庭先は一面に田圃が広がっています。

 その磨臼山の一片に女房実家の土地がありまして甘がき、ミカンそして枇杷の木などが少々あり又、孟宗竹ではないのですが密生している結構太い竹があって、その竹を切り出して垣根に利用したりしておりました。
 善通寺に住み身近になった磨臼山ですが、この山のテッペンはどうなっているのだろう?
何と言うか表現し難いのですが子供の頃に感じた冒険心めいたものが沸々と湧いてきて登ってみようと5年前になりますが2009年の春に登ったのを思い出しました。
 地図の下に四角に囲んだ場所が実家の所有する一片の土地ですが、そこから道はないのですがテッペンに向かってイザ!出発。
 勿論、121mの低い山とは言え一人登山は危険です、5年前と言っても既に62歳のジジイですから若い同伴者を伴っての登山です。
 道なき道を登るのですが、同伴者が持っていたアップル社のアイホーンでしたっけ、そのアイホーンにある地図ソフトとGPSを頼りに登った軌跡を紫の線で記入しました。
 紫の線で示している登山の道程ですが右に折れるルートは結局、獣道も途切れ崖になったりしていて登れないと断念し戻り左ルートに変更して何とか登頂成功となったのでした。



  左ルートに変更し頂上らしい方向を目指してジャングルの道なき道を分け入ったのですが鬱蒼とする風景の変化に“こんな所で遭難したら笑い者になるぞ”と不安な気持ちを抑えながらの登山!・・全く小心者、丸出しです。


 登り始めて1時間弱でしょうか、そろそろ頂上が見えてきても良い頃じゃないかなと思ったとき、自然の造形とは思えない大きな岩が見えてきました。

 ふしぎ発見!!ですね、道なき道を登り見上げると巨岩が・・んん~ん、



 近づくと・・・・なにこれ珍百景にならんかなあ~


更に近づくと、こんな感じ、平らに削った岩を乗せる!これは自然の造形じゃないですよね~しかも、ここから見上げると正直、危ないなあ~と言う感じ!


登る前に実家の爺さんは頂上には大岩があると言っていましたし殆どの地元の人は知っている様ですが何で在るのか何時からあるのか知っている人はいない。
 昔は頂上へ登る正規の道があったそうですが何で無くなったのでしょう。
 頂上に登ると大岩の隣に「明治38年旅順陥落記念」と刻まれた石碑があり、その石碑には何かしらを固定したであろう錆びて朽ちた金具が付いていました。


瓢箪の意味は不明ですが恐らく戦時中の事でしょうか頂上に日の丸を掲げた人がいたそうです。
 善通寺は初代師団長であった乃木希典将軍の大日本帝国陸軍 第11師団が置かれた地ですから旅順陥落記念の石碑があるのは頷けます。
 標高121mと言う小さな山でしたが獣道もないジャングルを分け入る登山とあって少々の不安もありました、まあ~それでも、それなりの汗をかき登頂した達成感が何とも気持ちよく・・・チョット大袈裟ですかね。

うう~む!達成感が。 62歳のジジイですが5年前はやっぱり若い!



 下山し「磨臼山」をキーワードにインターネット検索をすると、大岩で感じた通りで古代の遺跡であるらしく4世紀後半の前方後円墳が在る山(磨臼山古墳)であると説明がありました。
 我が家の近くにしかも実家の畑がある山に古墳があるとは、善通寺に住み2年にもなるのに知らなかった、自分一人では絶対に登らないであろう遺跡にビックリでしたね。

 日々のウオーキングルートに善通寺市民会館がありそのフロアーの角に磨臼山古墳から出土した石棺が展示されています。


立派な石棺ですね、それにしても頂上に在った巨岩と言い、この石棺と言い、コンナニも重い石を121mの山にどうして上げたのでしょうか・・ふしぎ発見!です。
 石棺には、こんな説明文がありました。


説明文に史跡有岡古墳群と書かれていますが善通寺市には古墳が点在しておりまして過日ですが一通り観て回りましたので後日のブログでお話を致しましょう。

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