2017年4月27日木曜日

農事組合法人さんで猫の手アルバイト episode Ⅰ

 2015年に手伝ってくれんかのお~と農事組合法人の方から頼まれ、断らない主義のさくらじい、そんな素人ジジイの「猫の手」農業お手伝いのお話は先のブログでもさせて頂いておりますが今回も農事組合法人さんで汗を流した猫の手アルバイトのお話です。

 暖かく穏やかな風土の讃岐平野ですから昔から稲作と麦作の二毛作がこの辺の農業形態で只今は麦作の時期で5月後半が麦刈りの時期となっているのです。

 御多分に漏れずこの地域でも各農家のメインを成す働き手が70歳から80歳台と高齢化するに及び2012年に農事組合法人として我が実家を含め数戸の農家が集まって共同農業をする様になったのです・・と先のブログでも書きましたが、そんな猫の手アルバイトですが依頼の回数も増えてきて・・むむ!?(*_*;


 稲作は経費と収入がツーペー・・おっと死語かな!?・・つまり利益はなし状態だそうで薄利ではあっても麦作で利益を確保しているのだそうです。

 そんな麦も今年からは利益のアップを目的に“うどん”の小麦ともう一つ、この地のブランド麦“ダイシモチ麦”の栽培に切り替えています。

 刈り穫りを間近に控えて穂が付き始めた時期、赤さび病の防除剤散布に駆り出されたのでした。


 防除剤の散布ですが軽トラックに積まれた500ℓタンクの薬剤を数十メートル伸ばしたホースを使って散布するのですが農業素人のジジイはそのホースを引っ張る役目です。

 500ℓポリタンクに水を満タンに入れ赤さび病防除薬剤を溶かして散布液を作ります。



 中央に500ℓのポリタンク、左にガソリンエンジンの動力噴霧器そして延長ホース。


 畔に軽トラックを止めて延長ホースを引き出します。


 猫の手はトラックに近い配置でホースを握ります・・・( ゚Д゚)・・手前の軍手がさくらじい。


  散布ノズルからは加圧された防除剤が噴霧されています。


  散布する人・散布する人の補助・中間ホースを持つ人、そして猫の手アルバイトとなります


 大きく広がる麦畑、さくらじいの家が前方左に小さく見えます。


 ┐(´∀`)┌ヤレヤレ・・きょうの作業は終了です・・ああ~シンド・・・( ゚Д゚)・・。

 でも、このシンドさと言うか、かったるさが気持ちいい・・まあ~達成感かな。

 馬子にも衣裳!??猫の手ジジイも農業のプロに見えます・・かね!?


 汗を流した後の一杯・・グビグビ・・プはあ~・・旨いっす( ^ω^)・・・。

 発泡酒ですが。


 やっぱり汗も流さなくちゃ~・・作業を終えた夕日に麦の穂が光っていました。

 えっ!?ああ~このシイタケですか、我が庭の日陰に置いた榾木には今年もニョキニョキと出てきました・・もう4、5年になるかなあ~。


 さぬきの夢2009  小麦ですので穂が長いです


 ダイシモチ麦  大麦(裸麦ですから)穂が短いそして実ると赤紫色になってきます。


 最後に讃岐名物のうどん用として開発された小麦とダイシモチ麦についてコマーシャル。

「さぬきの夢2009」

 香川県で開発されたうどん用小麦で2000と2009があり我が農事組合法人ではさぬきの夢2009を植えました。

「ダイシモチ麦」

 香川県善通寺市内に在る近畿中四国農業研究センターが平成9年に開発したもち性の強い大麦(裸麦)で善通寺にゆかりのある弘法大師に因んでダイシモチ麦と名付けられた。

 この麦は健康と美容の維持に効果があるとされ最近、全国的に人気の麦となっています。



 善通寺市のふるさと納税で人気の商品だそうです。

 むぎゅう~ちゃん・・だって( ^ω^)・・・へえ~。

 実は赤さび病の防除剤散布作業が済んだ翌日に農事組合法人さんのナンバー2、重鎮の方が突然の脳梗塞で鬼籍に入られてしまったのです。

 軍手をしてホースを握るさくらじいの前に写っている方ですが享年82歳、戦後の地域農業を一心に頑張ってこられた方だけに農事組合法人の皆さんも驚くばかり、他所から来た、さくらじいにも笑顔で親しく接して下さる優しいお爺さん、お疲れ様でした。

合唱

久し振りの縮尺1/1工作をしました

今年のゴールデンウィークにも孫娘が“さくらじい”の家にやってきます。


そこは御多分に漏れず爺バカなものですから孫娘が希望するバーベキューを準備しようと、重い腰をよっこらしょ!?。

 バーベキューの会場は10年前に縮尺1/1工作として制作したウッドデッキの上
・・なのですが・・・(# ゚Д゚)・・こりぁあ~改修工事が必要だなあ~



 床がボロボロ(*_*;・・うっ!んん~張替え工事が必要・!?そう言えば女房実家の納屋に古い家を壊したときのフローリング材の残りがあった様な・・

 10年前に作ったウッドデッキでも使用したフローリング板材ですが寸法が短い、あっそうか長いのは10年前に使ってしまった。

 まっ!?ショウガナイ、孫の為とウッドデッキの床板張替え改修工事を行う事にしましょう。

 と言う訳で4月は「オリジナル金属ゼロへの挑戦」をお休みする事になりましたので趣味ブログは縮尺1/1工作報告となります、ご容赦の程をお願い致します。

 朽ちてボロほろになったフローリング板材を剥がすと梁も1本が腐食していましたので交換です。


 他の梁は何とか健全でした・・10年も雨曝しなのに・・それなりに凄いなあ~と自己満足。



 こんな感じで張替えを進めます。


 張替えを完了して塗装をして完成です。

 比較的、雨のアタラナイ家側の4枚については旧フローリング板材を流用しました


 塗料は屋外木部保護塗料(防蟻・防腐・防虫・防カビ)1.6ℓのチーク色で水性塗料を使用しました、何と言っても塗料が高い(3,400円)・・・(# ゚Д゚)

 山藤も花が咲きだしました、これから枝が伸び6月ごろには天井を覆う程になり真夏の遮光には良いのですが剪定が大変なんですよ!?


そうして、これが廃材となった旧フローリング板材なんですがこれの処分が又、大変なのです。

 細かく切って焼却処分するしかないのですが野焼きが環境に!?と言う事で・・。


 さて次はバーベキューテーブルの製作です。

 まあ~これはチョット凝り過ぎた事もあって出来はイマイチですが今年のバーベキューに間に合わせるには致し方なし・・つまり妥協の産物ですね。


 何とかゴールデンウィークに間に合いました。


 ついで・・( ゚Д゚)・・と申しますか縮尺1/1工作は野外作業になりますので真夏や真冬は作業環境が劣悪となりジジイにはとても出来ません。

 只今の室温は23.1℃・・今が一番いい時期と言う訳でガレージの整理整頓用にと懸案だった棚テーブルも作りました。

 何せフローリング板材はテーブル天板に丁度いいものですから10年前もそうでしたが今回もこのチャンスにと、まあ~見栄えや強度は無視してのやっつけ仕事ですがね。


 右側の棚テーブルは10年前に作ったものでテーブル天板はフローリング板材です。

 これで暫くは縮尺1/1工作はお休みです??まあ~気まぐれですから。

 と言いますか10年前と言うと未だ60歳ですからね、今年で古稀を迎えるさくらじい
としては段々と縮尺1/1工作もシンドクなりそうで・・・(*_*;・・ああ~垣根の改修工事もしなきゃなあ~・・工作は好きなんだけど悩ましい事です。

2017年4月8日土曜日

株式会社 医理学研究所

洗面所のガラス窓を落としたのは誰だあぁ~寮長まで出頭せよ!!

独身寮の掲示板と言うか黒板にチョークで書かれた文!?んん・・・ひょっとして(*_*;
昭和45年に東京は三鷹市の或るメーカーに入社し独身寮生活を始めたのですが同部屋の友人と街へくり出し酔っぱらって帰った昨晩・・(;゚Д゚)・・俺かも!?

 先のブログでお話した消去できない強烈な記憶として残る、さくらじい若気の至りドジ話ですが、もう一つ先のブログでお話しました「創意無限」

  中島みゆきさんが(^^♪風の中のスバルㇽ~と歌うメロディーが頭を過りますがプロジェクトX 挑戦者たちの本にはこの様に紹介されています。

 中島は墨をすり、1枚の書を書いた。
 創意無限
 中島は言った。
 創意の実現には、無限の努力が必要です。諦めずにやりましょう・・・

 そんな中島 茂さんの記憶がマタマタさくらじいの頭を過ったものですから、お話をさせて頂く事にしました。

 さくらじいが入社した1970年は3代目の持田信男さんが社長をされていましたが翌年の1971年~1977年は中島 茂さんが社長でおられましたので丁度さくらじいが松山で営業していた時期とギリギリ重なるのです。

 そんな時期でしたのでしょうかお得意様であった開業医さんの開院祝いに来られた社長を社有車でご案内した時に“戦時中だけど会社でマグネトロンと言うマイクロ波管を使った殺人光線の開発研究をやっていて三鷹工場の敷地に置かれた戦闘機にマイクロ波を照射する実験をしていたんだよ!?と言うお話をされ、その時はそうなんですか!?と聞くだけでした。

それから10数年が過ぎてそんな事があったのも忘れていた日に偶々読んだ単行本に中島 茂の名前が出てきて何と言いますか・・その時の殺人光線開発の話と重なって一気に読み進めたのを思い出したのです。

その単行本はノンフィクション作家 中川靖造さんの「日本のレーダー開発と伊藤庸二大佐」と言う本で抜粋を紹介しますと。

電波によって遠方の物体を探知しようという着想は、1920年代、世界の著名な科学者の間で話題になっていた研究課題である。

 その中の一人に日本の若い技術者がいた。

 海軍技術研究所に着任して間もない伊藤庸二造兵大尉であった。

 ・・・・伊藤は高出力で波長の短い電波を発射できる真空管をつくりさえすれば、必ずものになると確信していた。

 自主研究ではじめた極振管(マグネトロン)の研究を急いだのもそのためである。
 一方、民間でも、マイクロ波(極超短波)用の真空管開発に執念を燃やしている技術者がいた。

 日本無線の中島茂(昭和6年 早稲田大学理工学部電気科卒)技師がその人だ。
 中島は伊藤の実弟でもあった。

 伊藤庸二は東京帝国大学工学部電気科卒業、海軍技術(造兵)中尉に任官したのは大正13年4月であった。

 この様な内容の単行本でしたが・・・興味がある方はノンフィクションライター 中川靖造さんが執筆されている「日本のレーダー開発と伊藤庸二大佐」を読んで頂ければと思います。

 このマグネトロンですが我々の身近なところでは電子レンジで使用されているのを御存じでしょうか。

勿論、原理は同じでしょうけれども当時の物とは仕様性能は全く別物と思いますけどね。

丁度、さくらじいが入社した頃にマグネトロンを使った商品があったのです。

さくらじいが入社した株式会社 医理学研究所は1950年(昭和25年)に資本金100万円(日本無線㈱半額出資)で会社設立登記を完了した会社ですが社史「光明を求めて」では『医界が要求する,否、それ以上の高級有益な医理学器械を考案発明し、研究の進歩と睨み合わせ製造能力を漸増していく』ことを創業の精神として掲げた・・とあります。

さくらじいが入社した当時はマグネトロンを使った極超短波温熱治療器がマイクロテラピーと言う商品名で製造販売され三鷹の工場で生産されていた様子が記憶に蘇ってきます。

 又、その頃はエコーカメラと言う商品名で超音波診断装置と言う音波を利用して人体の断層写真を得る医療器械も製造販売されていて、その開発秘話がNHKのプロジェクトXで紹介された挑戦者たち「創意無限」と言う訳です。

 残念ながらさくらじいが入社して配属された部門はマイクロテラピーやエコーカメラではなく放射能(線)測定装置・核医学診断器機の部門でした。

 69歳になったさくらじいの半生を過ごした「株式会社 医理学研究所・1976年に社名をアロカ株式会社に変更」なので突然フラッシュバックと言うか時系列に関係なく良い事、悪い事・・悪い事が多いかなあ~頭の中に蘇ってくるものですから、今後も思い出したら書こうかな・・何て思っています。


 大丈夫ですよ・・( ^ω^)・・・書くのは他愛のない話だけですから。

 4代目社長、中島 茂さんが書かれた社是、確かに、さくらじいが定年になった2012年には誰もが疑う事のない「世界のアロカ」になっていました。
 
 中島 (なかじま しげる、1907年〈明治40年〉 - 2006年〈平成18年〉)

 最近とみに思うのですよ・・「諸行無常」・・てね。

2017年4月7日金曜日

オリジナル金属ゼロへの挑戦 27/ 主翼へ主脚を取り付ける

  過日Amazonから購入したラジコン用リトラクトサーボレスなる引き込み脚モジュールを取り付け更に主脚を取り付けて引き込み動作試験までを実施したので報告します。


  先ずは現在の進捗写真です。


  窓からの朝日に( ^ω^)・・・引き込み動作テスト準備完了写真です。


  昭和19年10月 海軍航空本部 零式艦上戦闘機 取扱説明書から

  脚 組み立て図

  脚 引き込み機構・・・!??う~むむ、イマイチ動きが解らないなあ~


  引き込み装置の動作図を見て何となく解った様な気がします・・・( ゚Д゚)・・。
 実機は引き込み機構メカを油圧により可動される構造になっています。


  解った気になっていたのですが図からリンク部品をボール紙に貼って切り出し動かす事で( ^ω^)・・・なあ~るほど!?理解度がアップ




  主脚引き込みメカの動きが解った・・でもなあ~実機を忠実再現したいなんて言ってみても油圧なんて無理ですから、ここでも妥協してラジコン用の引き込み脚ユニットと言うかモジュールを購入する事にしました。

  インターネットで検索するとAmazonのサイトにありました。

  商品名は「リトラクトサーボレス」??初耳単語ですからこれもインターネット検索して意味を調べると・・引き込ませる・機体内に引っ込める・脚引込装置・・成程!?


  インターネットでの買い物ですから寸法などの詳細仕様が知りたいのですがカタログらしきものは写真だけ。

  んん~価格は1400円/個・・まあいっか!?失敗してもとリスク覚悟で3個を購入したのでした。

  主翼の主脚収納スペースに入れなければなりません。


  左主翼から購入したリトラクトサーボレスを組み込んでみましょう・・入るか!?

  左主翼に組み込んだリトラクトサーボレス・・何とか入りそうです。


  次に主脚をリトラクトサーボレスに取り付けて・・・( ゚Д゚)・・あれれ!?

  先に作っておいた主脚タイヤのゴムがひび割れ剝がれかかっています。


  ひび割れたゴムを剥がして・・さて!??・あれしかないなあ~

  主脚の製作は先のブログでお話していますが車輪の本体はバルサ材で作っています。


 そうです、一度は失敗して諦めた「クツ底の肉盛り補修材 セメダイン シューズドクターN」再チャレンジです


  仕上がりはイマイチですが、これ以上は無理・・と妥協です


  左右の主脚タイヤの補修を行いました


  リトラクトサーボレスを主翼小骨に固定する金具を作りました。


  左主翼にリトラクトサーボレスを固定し主脚を取り付け組み込んでみました。



  同様の工程を経て右主脚を取り付け組み立て、いよいよ引き込み動作のテストです。



 左主翼の主脚引き込み


  右主翼の主脚引き込み


  上面から撮影


  下面から撮影


 動画で引き込み動作をお見せします・・・が、左右主脚が同時動作なんですよ!?

 左主脚を動かし次に右主脚を動かす・・むむ・・・( ゚Д゚)・・パルス遅延回路を右に入れないとイカンなあ~・・・さてド田舎での入手が( ^ω^)・・・


次回は主脚覆いの再製作と収納後の覆いを完成させる( ^ω^)・・・でしょうか。