2020年11月28日土曜日

さくらじい残日録 11月号 Go To トラベル episode 2

 Go To トラベル episode 2 は 愛媛県愛南町は南レクに在る紫電改展示館の見学と松山道後温泉1泊そして松山城のお話しです。 

 宇和島で昔お世話になったディーラーさん・・勿論、今はリタイアしていています・・との楽しい会食をして静かに盛り上がって一夜明けての二日目、当初は佐多岬の方へ行こうと予定していたのですが、さくらじいの我儘でチョット遠いのですが紫電改を観に行く事に変更。

 先に位置関係にイメージが湧かないと思いますので地図を添付します、そう宇和島からは小一時間の距離でしょうか。


 愛南町、ここはもう瀬戸内海ではなく黒潮の流れ込む太平洋に近く鯛などの養殖で有名ですね、海がきれいで夏は水中公園があって一度来たことがありますが当時はまだ紫電改が海底に眠っている何て誰も知らなかった頃の大昔です。

 やあ~遠くて来る事はないと思っていたのに中ちゃんの御蔭で来ることができて感謝です。

 入館は無料!確か愛媛県の出資だと思うのですが当時の事を考えると納得です。

 眼前に化粧されて日の丸を抱えた紫電改が鎮座しています・・おお~!


 搭乗していたパイロットはハッキリしていないらしい、だいぶ前に聞いた記憶では松山飛行場から米軍飛行機の迎撃に飛び立った紫電改であったと。


 上記説明文で知っておくべきだと思う部分の抜粋を念のために書き写しました。

 

 この紫電改は南宇和郡城辺町久良(ひさよし)長崎鼻約二百メートルの海底四十メートルのところに眠っていたが昭和五十三年十一月、城辺マリンクラブによって確認された。

 愛媛県は機体を引き揚げ、慰霊の誠を捧げ、恒久平和を祈念することとした。

 独特の空戦フラップを駆使できる海軍航空の掉尾(ちょうび)を飾る優秀な戦闘機であった。

 この紫電改は、旧第三四三海軍航空隊に配属され昭和二十年七月、豊後水道上空で交戦したなかの一機であると言われている。

 私事になりますが1977年~1985年の約8年を松山市の事務所で勤務しておりまして当時は松山空港周辺も社有車で移動していて近くの掩体壕(えんたいごう)も目にしておりました。

 松山空港近くに在る掩体壕(戦闘機の格納庫)ですが松山空港に着いた本社の偉いさんを社有車で迎えに行った時などに案内した記憶があります。

 当時は近隣住民の倉庫代わりになっていた様ですが今でも現存しているのか分かりませんが。

 松山海軍航空隊についてWikipedia では日本海軍の部隊・教育機関の一つ。 

 一挙に増加した予科練甲飛第13・14期の生徒を教育するために新設された予科練教育航空隊である。

  松山と言えば、源田実司令率いる第三四三海軍航空隊の印象が強いが、北側の予科練「松山海軍航空隊」と南側の飛行場である「松山海軍航空基地」は完全に別個の施設で、しばしば誤って混同される事が多いと記述されています。

 この空襲にも耐えうるであろう掩体壕は極地戦闘機である紫電改を守ための格納庫であると思うのですがね。

 話はそれましたが紫電改展示館に戻って、いっ!やあ~プロペラの曲がり方から海面に突っ込んだであろう紫電改を観て感動と言うか何故か目頭が熱くなってくるのです。

話が長くなってしまいます、もう少し居たかったのですが時間もないので中ちゃんに記念の写真を撮ってもらって展示館を後にしました。

兎に角、海の景色が素晴らしいです。


 オープン当時にはロープウエイも在った様ですが今では廃止されて、まあ~人間って飽きっぽいからなあ~・・今日も観光客は私たちを含めてもポツリですからね、蜜なんて程遠いです。

 昼前には南レクを後にして一路、内子に美味しそうな蕎麦屋さんがあったので、昼飯にそばを食べよう。

 天ぷらそばを注文したら暖かい蕎麦と天婦羅が別々に、おお~・・見た目も味も格別で美味かったです。

 そうして早めに着くのが良い・・何せ中ちゃんも高齢者の入り口ですから夜間の移動は危なくなってきたそうで15時頃に松山市が見えてきました。

 松山に建てたさくらじいさんの家がどうなっているか見に行こうと遠回りしてくれまして。

 ええ~と・・周りはだいぶ変わっているのに意外と分かるものですねえ、あっ!ここだ、懐かしい家が未だありました、1983年頃だったと思うので今では築37年か、大事に使っているのでしょうね、外観は綺麗でした。

 丁度34歳頃だったのでしょうか月日の経つのは速いもんですなあ~、男子、家は30歳台で建てなきゃあ建てれんぞ・・と先人が言っていたのを真に受けて25年ローンで建てた松山の家でしたが正解でしたね、最後はこの家を売って実家の畑に今の家を建てたのですから、松山の家がなかったら今の家を建てる事が出来たかどうか分かりませんです。

 16時頃に道後のホテルに到着です。

 先ずは、ひとっ風呂浴び部屋に戻って缶ビールをプシューと開けて暫くユックリしてから夕食会場へ、爺さんにはこの程度が良いねえ~昔は何せ料理が多すぎて食べきれない。

 量は少なくて良いから美味いものを、と言うのが73歳となったジジイの希望です。

 流石にお互い高齢者ですから昔みたいに大酒飲みにはなりませんね、料理は美味かったので完食です、チョット血糖値が心配ですが特別の日と言う事でご勘弁です。

 この膳も本当は三つ並んでいたはずなのですが、そう“しげ爺”が居ない寂しい事です。

 GoToトラベルの御蔭でしょうか道後温泉のホテルは何処も満室で我々が泊まったホテルも辛うじてツインベットの部屋がとれたくらいです。

 修学旅行の学生も居ましたがコロナ感染予防対策は万全で食事会場も密にはならず静かな会食を皆さん実践されていました、日本人って凄いです。

 道後温泉の町を歩く観光客は意外と少ないなあ~と言う印象でした、皆さん考えているんだね。

 これは!??・・坊ちゃん列車の名阪ですが外車なのかなあ~

 今でも松山市内の路面電車として走っていますが蒸気機関車の後ろに連結されている客車もどきの電車に押される形ですかね。

 道後温泉駅ですが、さて利用する人が何人いるのだろう、観光客の皆さんもバスや自家用そしてタクシー利用だろうからなあ~

 そして定番の松山城へ、何時も乍らに立派です、姫路にも負けんと思う。


 中ちゃんは、このアングルが好きだと言います。


 誰もが認める城マニアの春風亭昇太さんが“この石垣は良い”と絶賛したとか!?

 こっちかもしれません!??

 そうして今回は二の丸御殿跡を観てきました、松山城を何回も観に行ったのに初めてなんです、行く先々で体温チェック、ここでも体温を測ってアルコール消毒そして記名。

 ここは殿様が生活した御殿跡ですね、こんなに広いんだあ~大奥もあったのかな??

 展示スペースに模型がありました。

 

 御殿跡から本丸を見上げると、こんな感じ・・殿様も本丸に行くのは大変だあ~


 御殿跡の庭にある楓も紅葉していて中ちゃんがスマホでパチリ

 兎に角、良い天気に恵まれたGoToトラベルでした人も少なかったし、二の丸御殿跡から空を見上げると、おお~本丸の上空には一朶の雲が

 さて堪能しました、昼前に松山城を後にしてJR松山駅で中ちゃんとお別れです。


 昼頃の特急しおかぜに乗車して帰路につきました・・新しい車両です。


 この日はカツサンドと缶ビール500㎖を買って乗車、これが好きなんだなあ~。


 麦蒔きも、うどん用小麦“さぬきのゆめ2009”猫の手アルバイトが終わったのは25日でした若干の田圃が残ったのですがジジイですからオーバーワーク、無理を言ってパスさせて頂きました。


 家の裏にある“うどん用小麦”を蒔いた田圃に朝日が射しています・・今年の猫の手アルバイトは終了です。

 ┐(´∀`)┌ヤレヤレでございます。

 先に蒔いたダイシモチ麦はもう目を出して目立ってきました、速いもんですなあ。


 GoToトラベルから帰宅して今日で17日になります、現在の体温は平熱で体調も良し、そうだよねえ~ガラガラの田舎でしたから三密なんてありませんし宇和島での会食も静かに鯛めしをいただきましたし観光のいたるところで体温測定とアルコール消毒でしたから”大丈夫”( ^ω^)・・・の自信はありましたです。。

 では次回までご機嫌よう


さくらじい残日禄 11月号 Go To トラベル episode 1

 ( ,,`・ω・´)ンンン?・・今回も農業の話??

 今年の農作業は麦蒔きが残っているんですよ、そう当地は二毛作ですから11月中に麦蒔きを完了しなければなりません。

 元会社の友人からの誘いがあって宇和島方面にGO TO トラベルしたのですが帰宅したら麦巻蒔きも終わっているだろうと高をくくっていたら・・甘い(# ゚Д゚)・・帰宅した翌朝に携帯のベル・・蒔くでえ~と麦蒔きの猫の手アルバイト要請があってジジイの出動となったのです。

 この日は平日でしたからトラクター播種機オペレーターさんと種、肥料運びと播種後の整地作業にさくらじいを含めて3人の爺さん、そうですねえ~平均年齢70歳かな。

 ┐(´∀`)┌ヤレヤレでございます。


 平日から土日になって会社勤めと大学生の若者が加勢となって大師もち麦の播種作業と続けての予防作業をやって麦蒔きの第一弾が終了。


 おっと!!と言うのは、これで全てが完了ではなく次は小麦(さぬきのゆめ2009)の播種が残っています、さあ今週の土日が麦蒔きになるでしょうか。

 若者がいるから猫の手アルバイトのさくらじいには要請はないかもしれませんが。

 と話は変わってGO TO トラベルの話をしましょう、農業以外の話は久し振りです。

 元会社の友人(中ちゃん)とは、さくらじいの四国時代の仲間ですが、その中ちゃんから宇和島方面に旅行しないかと誘いがありまして、まあ~お互いの営業テリトリーでしたから懐かしい人との会食を目的にした小旅行ですね勿論、万全なコロナ対策をして出かけたのは言うまでもありません。

 善通寺からガラ空きの普通に乗って多度津駅、善通寺は土讃線、宇和島方面は予讃線ですから多度津駅で特急に乗り換えです。

 

 コロナ禍の移動ですが結構のビジネスマンが乗っていました、そうだよねえ~コロナ禍だからと言ってテレワークだけじゃあ飯が食えない(# ゚Д゚)

 松山駅で下車、中ちゃんと合流し後は中ちゃんの自家用車で移動です。

 松山から小一時間ここは内子、仕事では通過点だった内子ですがTVで放映される内子の旧家屋は一度見ないといけないと立ち寄って、先ずは内子座から見学。

 歌舞伎も来たであろう内子座ですが琴平の金丸座を少し小さくした芝居小屋です。

 舞台に居るのは今回誘ってくれた中ちゃんです。


 役者を舞台に押し上げる“すっぽん”


 奈落にある回り舞台のからくりですね。

 琴平の金丸座にもありましたが支柱を肩に押し当てて、えぇいっやぁ~と人力で回すのです。

 

 香川県は金丸座、愛媛県は内子座があって四国には昔の芝居小屋が・・金丸座には電気照明がないけど内子座には電気照明があるんだなあ~へえ~ 

 そして内子と言ったら“和ろうそく”ですよ。TVでも放映していました。

 職人さんがハゼの実から絞り出した植物油(木蝋)を手でこすりながら1本の蝋燭に仕上げていきます。


 中ちゃんが、おお~これ買わなきゃと購入、勿論さくらじいも買いました。


ここの蝋燭には花柄はありません、実用の和蝋燭なんですね。


 さくらじいが購入した和蝋燭、勿体ないので火はつけません。

 内子の町並みをぶらり歩きしてみました。



 旧上芳賀家邸ですが芳賀さんはこの地の大家で下芳賀などの分家が多く在るようです。



 内子の町並み、なかなかに良かったです、実は内子は中ちゃんの生誕地なんですね、高校での悪ガキ時代を懐かしがっていました。

 そうして内子を後にしてから小一時間で宇和島市に到着、今日の宿泊地ですから先ずは駅前のJRホテルにチェックイン。

 時間はありますので宇和島城へ・・ここは伊達政宗の長男が家康に転勤させられたところなんです。

 伊達政宗の城下町仙台は我が故郷ですから何か親しみがあって、もう何年前になるのでしょうか30年も前になるのかなあ~高松に転勤して四国がテリトリーになった時、観たきりになっていました。

 ふうふう言って登ってきたら16時20分、城の中を観ようと入ったら職員さんが、16時30分で終わりですと言う(;゚Д゚)ええ~

 時間がないので只で良いというので一寸だけさわりを観て下山することになってしまいました。


 中ちゃんが記念に撮ったると言って一枚シャッターを切ってくれました。

 でも何ですなあ~お城に上るのは大変です急な登攀もそうですが一段の石段が高くて昔の人は背が低いのに途上は大変だったろうなあ~と

 11月と言うのに汗だくでホテルに帰り風邪をひいたらイカンと下シャツを交換して夜会食の場に移動です。

 宇和島の鯛めしを食いたいと言っていましたので宇和島の元ディーラーさんが手配しくれた店で合流。

 昔お世話になったディーラーさん3人と中ちゃん、さくらじいで5人の会食をしましたが個室での静かな会食に心がけました。

流石に魚は美味しいし名物じゃこ天も美味かった、最後に食べた鯛めしは鯛の刺身と出汁と卵のかけごはん( ^ω^)・・・美味い(@_@)、これだあ~久々の大満足でした。

 皆さん元気で何よりです、酒量もほどほどにしてホテルに戻って就寝。

 30年ほど前に感激した鯛めしですが当時の丸水さんと言う店はなくなっていました、大手に吸収されて無くなった我が社と同じで“諸行無常”ですなあ~

 どうしようか!?話が長くなるのでepisode 1として一先ず〆ますね、次のepisode 2 は紫電改と道後そして松山城のお話しです。