2016年5月11日水曜日

さくらじい 磨り臼山古墳を探検せり!?


 前回のブログ『善通寺市って古墳が点在する街なんです』では磨り臼山古墳の探検を途中まで行ったのに鬱蒼と茂る山林に身の危険を感じて怖気づき探検を断念して帰ってしまった、と言うお恥ずかしい話をさせて頂きました。
 人間って勝手なもので会社人間の時には休日、特に大型連休は最大の楽しみとしたものですが退職して毎日が日曜日の自由人になると今度は休日や大型連休が嫌いになってしまいます。
 それは郵便局や銀行等の公共機関が休みなのを知らずに郵便物を出しに行って肩すかしを食らって怒り心頭に!大型連休は大勢の人が動くので交通機関も宿もそして観光地も人ごみで、ごった返し・・んん!?方言?かも・・まあ~身勝手な言い分なのですが、今年も大型連休が始まり前半は孫娘の一家が後半は息子が帰省しそれはそれで大歓迎??んん!支離滅裂・・矛盾ですね、スミマセン。
 そんな大型連休に帰省した息子に磨り臼山探検を断念した話をすると付き合っても良いと言うことになり再チャレンジをして参りましたので、続きの話をさせて頂く事にしました。
 磨り臼山と自衛隊善通寺駐屯地は歩いて10分ぐらいの距離なので折角ですから自衛隊敷地の中にある乃木資料館(旧陸軍第11師団司令部庁舎)を見学してからと言う事になりました。

 乃木資料館の話は先のブログ『気になっていた第11師団司令部と乃木将軍』でお話をしておりますので割愛しますが、親父が、ほらほら、ここに伊地知幸介がいるだろう!司馬遼太郎は・・・なんて会話を息子とする親父を想像して頂けたらと思います。


 
 へえ~と見て乃木資料館の自衛隊員にお礼を言ってイザ!?磨り臼山へGO


旅順水師営・・・どうしても坂の上の雲を連想してしまいます。



 今回は二人でのアタックですから躊躇せずに登れます。

 Googleマップを使わせて頂きますと乃木館と磨り臼山の位置関係はこの様になり磨り臼山の右側頂上に前回ブログで紹介した大岩が在ります。



 磨り臼山を拡大した上空写真で見ても木立ちに被われて古墳の確認は出来ませんね。

 道路から山へ入り急な斜面をふうふう言いながら10分も登ると開けて空が見え





 少し拓けた所に何やら石柱が確認されます・・あっ!これだな。


 その石柱に近づいてよく見ると『磨臼山前方後円墳』と刻まれた文、ここが古墳だと確認できたのですが周囲は太い孟宗竹に囲まれて??こっちが後円??かなあ~・・そんな感じで前方の確認はできませんでした。







 ┐(´д`)┌ヤレヤレ・・何れにしても磨り臼山古墳の上に立つ!と言う訳で登頂の証に一枚をパチリと撮影


 石柱の反対側(西)はこんな感じ前方の確認は出来ません、そう言えば入口看板の地図にも前方後円墳の記載が無い???
 ここの孟宗竹は太くて立派ですから筍を採ったであろう痕跡が見受けられます。

 でも何ですなあ~こんな30度もあろうかと言う急斜面ですから半端な労働じゃあないのは明らかですね。



 そこには、この様にモノリフトのレールが敷かれていました、でも肝心のリフトが無いので使われていないのでしょう!?ここも後継者がいない・・何処も一緒の様です。



 後継者がいなければ山は荒れ放題で何れは孟宗竹に占領されてしまうでしょうからやっぱり善通寺市が整備して観光に寄与させるのが一番と思うのだけれどなあ~
 そんな事を想いながら滑りそうな斜面をユックリ下山して帰途につきました。
 標高から言えば丘みたいな山ですが鬱蒼として急斜面のジジイ単独登頂は、やっぱり危ない、滑って転倒したら命取りでしょう・・やっぱり歳をとったんだなあ~と実感する日でもありました。


オリジナル金属ゼロへの挑戦 17/ 7.7粍固定機銃を前部胴体に組み込む

[] 胴体の製作 7/ 
[]-4 7.7粍固定機銃装備の製作と組み込み

 ゼロ戦を金属で作ってラジコンで飛ばそう!?・・・そんな無謀な挑戦ですからスケールモデル的な要素は全て排除すべきなのですがジジイの自己満足拘りが勝ってラジコン機としては不要な7.7粍固定機銃を作り組み込む事にしました。
 完成した時には外観としては見えなくなりますし重量リスクが増えるだけなんですがねえ~・・・一様、最終的に取り外す事を想定してマイクロビス止めにしました。

          先ず、完成写真です。


          海軍航空技術廠の7.7粍固定機銃装備図


  7.7粍(mm)機銃弾倉及び打殻(薬莢)放出筒の製作

                 海軍航空本部 取扱説明書






   形紙の製作

 『7.7mm機銃弾倉枠の製作』


  左上が形紙で、その形紙で0.3mmのアルミ板を4枚切り出します。
 うち2枚の周囲を約1mm程の幅でカットし大・小を作ります。
 大・小の板を貼り合わせます、今回は接着剤としてプレミアムハード ウルトラ多用途SUと言うコニシ㈱社の製品を使用しました。
 瞬間接着剤では張り合わせの微調整が出来ませんので固化時間4分の接着剤を使用した訳です。
 張り合わせる理由は後に0.5mm厚・幅10mmの側板を形状に合わせて接着していくのですが、その接着強度を持たせるためです。
 写真の左下が側板を形状に合わせ固定しMr.JUSTの高強度瞬間接着剤を流し込んで放置している状態です。
 中央にある山形のアングルは弾倉枠の強度を得る為に弾倉枠の中央に接着して固定します。
 最後に右にある弾倉枠板を重ねて高強度瞬間接着剤で固定し完成となります。
 この次に薬莢排出口アングル(射殻放出孔)を作って、この弾倉枠に取り付け胴体前部の定位置に固定して終了となります。
 それから7.7mm機銃の製作、固定と作業が続いていきます。
 補強アングルを固定しながら瞬間接着剤を流し込みますが瞬間接着剤と言っても平面密着じぁ~ないので固化時間を約1時間みるようにしています。
 こんな具合に固定してティータイム・・・


 如何でしょうか、1時間放置後の写真です。


 7.7mm機銃弾倉枠と薬莢(射殻)放出孔の完成です。






 これに7.7粍機銃が固定されます。


 前部胴体に仮組してみました。
  機首側から撮影



 コクピット側から撮影


  底面機首側から撮影


 底面コクピット側から撮影


 『零戦7.7mm固定機銃を作りました』

 左は構成部品、右が完成品ですが実物とは差異がありますね。

               

  外筒冷却穴の数そして発射レバー等・・つまり妥協をしております。


  完成した7.7粍固定機銃をガンメメタル(タミヤカラー X-10)アクリル塗料で色塗りを行い更に弾倉枠及び射殻放出孔を青竹色メタリック(CSIクレオスMr.COLOR MATLLIC BLUE GREEN)吹き付け塗装を行い仮組してみた。


              

 『7.7mm固定機銃モジュールを前部胴体に組み込みました』

          防火壁側からの撮影

         


 青竹色スプレー缶が無くなり中途半端な仕上がりとなってしまいました。

          左翼側からの撮影


                コクピット側からの撮影


  後部胴体が有りませんのでこの様なアングル撮影も出来ました。


 続きの作業は大型連休も終わって暫くしてからでしょうか、次の作業はコクピットの計器盤かRC用の燃料タンクを作って防火壁(0番隔壁)の裏に配置する作業か又はエンジン架の検討と製作かなあ~
 キャノピー風防の取り付けもあるなあ~でもコクピットを仕上げないと無理だし、そうそう座席も作らなければ・・・ひゃあ~ホンマに出来るのかなあぁ~甚だ疑問ではありますが何やら重量オーバーとなってRCで飛ばす!?願望が潰えて至高のミュージアムモデルへの挑戦に変更・・何て有り得るかもしれません。
 何れにしても気分次第なものですから確約はできませんがね。
 RC断念の布石!?・・・ではないですよ、最終目的はRCで飛ばす・・ですから。
 途中で無くなり中途半端になってしまった青竹色スプレー塗装ですが購入するにも高松まで行かなくては入手できないので足りない部分は同色の手塗り塗装でカバーしました。
 ㈱CSIクレオス Mr.COLOR 57 メタリック青竹色 MATLLIC BLUE GREEN
 実は㈱CSIクレオス Mr.COLORのホームページでスプレーを探したのですが見当たりませんでした・・これってディアゴスの通販で購入したのですがディアゴス金属ゼロの特注商品だったのかもしれません。
 メタリックは手塗りでやるとムラが出て難しいのです、スプレー缶かエアーブラシですね、エアーブラシは準備と片づけが面倒なので、どうしても躊躇してしまいます。

 前部胴体に青竹色を塗布したらボロが隠れて凄い仕上がりに見えます。




ふむふむ!?自己満足の虫が・・・。



 零戦 7.7粍固定機銃 実物写真(インターネットから借用)


2016年5月2日月曜日

善通寺市って古墳が群集する地なんです・・故郷創成!?

 我が息子が小学生だった頃、夏休みの自由研究を古墳にしたらと言う事になり高松市の周辺を苦労して探し廻った事があります。
 何と!女房実家の善通寺には県下を代表する古墳群があったじゃあ~ないですか。
 それを知ったのは65歳になって退職し自由人となってから!?灯台下暗しとはこう言う事を言うのですね。
 それも4月の連休に善通寺市が主催する“古墳巡り”に女房が応募してくれていて限定人数の中に入れたから知った様なものなのです。
 そんな古墳巡りのお話をさせて頂きましょう。
 善通寺市教育委員会 生涯学習課が発行するリーフレット「国指定史跡 有岡古墳群」を見ますと、その冒頭には・・
 善通寺市内には400基を超える古墳の存在が確認されています。中でも筆の山・我拝師山で北部を、大麻山で南部を限られた広田川流域の有岡地区には、同一系譜上の首長墓と考えられる前方後円墳が集中し、大麻山山麓の谷間には至る所に後期古墳が群集する事が知られています。
 中でも王墓山古墳、野田院古墳・磨臼山古墳・鶴ヶ峰4号墳・丸山古墳・宮ヶ尾古墳は3世紀末から7世紀にかけて築造された県下を代表する古墳です。
 ・・と記述されています。
 古墳巡りバスツアーは毎年春の連休初日に善通寺市が用意した小型バスツアーで、ガイドをして頂けるのは市の職員さんです。


定員は25名。


早朝8時45分善通寺市役所に集合でしたので少々早めに8時20分頃に市役所西玄関に参りますと既に善通寺市のバスが待機しておりました。
 全てお任せですから、なあ~んにも考えずにバスに乗車して出発。
 最初は「野田院古墳」から・・?
大体の位置関係とイメージがつかめないと話にならない!?・・そうですよねえ~では善通寺市のリーフレットから写真と地図を借用させて頂きました。

 これで市役所から古墳巡りの位置関係をお解り頂けると思います。

 バスは大麻山山頂へと通じる山道を走り中間と言いますか標高2/3ぐらいの所にある野田院古墳に到着、ここはキャンプ場にもなっています。

 この日は小春日和の休日ですから愛好家や小学生・中学生の団体さんは麓から徒歩で登山していました、ただ道が狭く対向車との離合も頻繁にあるので初めて自家用車で登るのはチョットシンドイかもしれません。

 前方後円墳ではあるのですが他の地域に在る前方後円墳とは趣がチョット違います又、この様に整然と石組みがなされていますが平成9年からの発掘後に整備されたとの事。

 

 
 ここからは五岳山と讃岐平野が眺望されます。
 過の乃木希典さんもこの景観を見て“ここに第11師団を創設しよう!?と決めたと地元の歴史家オジサンは言っていましたが・・本当でしょうか。


 野田院古墳から見上げると各社のテレビ塔が並ぶ大麻山の頂上が見えます。


 キャンプ場はこの右側に広がって在ります。
 今思うと子供の小さい頃に来たら良かった!何もワザワザ遠くのキャンプ場に行かなくてもなあ~68歳となってキャンプをする元気はもうありません・・・・です。
 
 それにしても石積みの周囲に在る土瓶は何の意味があるのでしょうか、リーフレットでは壺形土器と説明がされています・・・勿論、壺はレプリカです。
 


 
 1時間程見学してバスは来た道を下って次の古墳、王墓山古墳へと移動。
 前方後円墳で横穴式石室を持ち金銅製冠帽や銀象嵌を施した鉄刀などの御宝が出土しているそうです。
 前方の山に見学者が立っていますが、ここからは善通寺市内が見渡せます。


 石室の中にある石屋形と呼ばれる石組みで瀬戸内海一帯でも数が少ない遺跡なのだそうです。


 次に向かったのは宮が尾古墳です。
 小振りな古墳で両袖式横穴式石室となっていて壁面には線刻画が描かれているのを見学できました。

 

  船に乗った人々が描かれていると説明がなされていますが・・如何でしょうか。

 


 一人がやっと入れる広さですね。



 他にも古墳は有るのですが周り切れません、この日は善通寺市の博物館と・・言う程ではないのですが出土品を観て善通寺市観光交流センターとなっている昭和の料亭建築「旧すし傳」を見学してお開きとなりました。


 今ではシャッター街となってしまった商店街ですが昔は綺麗どころの芸者も居て結婚披露なども華やかだったと聞きます。

 義弟が結婚する時にちょっと期待したのですがね。


 
 と・・ここまでが古墳巡りのお話ですが、実はこのツアーに参加したのは2012年4月29日、早いものですなあ~もう4年も前になってしまいます。
今回このブログを書く気になったのは何回も出して恐縮ですが女房実家の土地が有る磨り臼山に「磨り臼山古墳」と言う古墳があって・・と知ってはいるものの見たことが無いではイカン!?なあ~とウオーキングの足を延ばして観て、そしてブログに書こうと思い立ったからなのです。
 ウオーキングコース、自宅→JR善通寺駅→善通寺境内→自衛隊駐屯地と歩き何時もは直線で帰宅となるところですが今日は右折して磨り臼山古墳へ・・良い天気です。


 左は溜池の一つで名前が・・何だったっけ??で正面に北側斜面の(実家の土地が有る斜面は南側)磨り臼山が見えます、ここから見ると“ひょっこりひょうたん島!?。
 5分も歩くと三叉路になって「磨り臼山古墳」の観光案内板があります、ああ~ここから入るんだなあ~と・・でもその先には矢印も何もありません。
 ご近所の方に“磨り臼山古墳ってどこから入るのでしょう~と尋ねると
 少し戻った所の小さい溜池があって小屋が在る所からは入いるんですよぉ~・・

 ああ~ここかなっ!?


 コンクリートで舗装されているので気軽な気持ちで進むのですが直ぐに途切れて獣道もなく雑草が生い茂っています。
 あっりゃあぁ~どうしたもんじゃろ~のおお~
 雑草の茂る木立ちを分け入って入るか・・うう・・むう~
 一人じゃあ~なあ~・・と言う訳で断念・・怖気づいてしまいました。
 やっぱり何が有るか判りませんので、ここは仲間が居る時に再トライする事にしましょう。

 ゴメンナサイ!!



 そうして一路、大麻山を見乍ら磨り臼山を一周して帰宅しました。

 歩いた距離は12000歩・・今日のノルマは達成です・・やっぱりシンドイです!?



 磨り臼山から出土した石棺は善通寺市公民館のロビーに展示されています。


 とまあ~中途半端なブログになってしまいましたが、それから数日後のウオーキングで前述の博物館と言いますか善通寺市立郷土館に新しい展示物があるかもしれんと立ち寄って館長さんと30分も話をしてしまいました。


 日曜日の10時過ぎ、お客さんは一人もおりません、歳の頃は私と同じぐらいかなあ~と思われる館長さんが一人おられまして。
 4年ぐらい前に善通寺市主催の古墳巡りで一度見せて頂きましたが展示物は増えていますか、と尋ねると増えた物はありませんと言う返事。
 それから他愛のないと言うか、それでも古代に話題を絞りながら30分程、そうして話題はふるさと創生の話に展開し!?・・・凄いでしょう、流石は団塊世代のジジイです。
 善通寺市に住み10年になりますが善通寺市も多分に漏れず過疎の町となって殆どの商店はシャッターを閉じて正にシャッター街となっています。
 善通寺市には観光資源が結構ありますよね、古墳群があって、弘法大師生誕の善通寺門前町・・これって湯布院の様な、尾道の美術館のある通りとか、みたいな観光資源をもっと活用すべきだ!何て無責任な事を言ってしまいましたので迷惑だったかもしれません。
 でも磨り臼山古墳だってあんな立派な説明看板を立てているのだからもっと整備したら良い観光スポットになると思うんだけれどなぁ~
古墳があって、その足で頂上へ登ると何やら目的の解らない大岩が見えて来てストーンパワーを感じながら・・そうそうパワースポットになるかもしれない・・展望台に進むと噴き出た汗に爽やかな風が吹き付け眼下には讃岐平野の善通寺市を一望する事ができる。
麓から歩いて登るには丁度いい標高と距離、ジジイの私だって楽勝ですから。

 以前に書いたブログで紹介しました磨り臼山の大岩です、これって人工的に置いた岩ではないかと思わせるんですが、だったら目的は??ひゃあ~・・益々、勿体ない観光資源に思えてきました。


これ、自然の物に見えますか!?平らな面が重なっている。


そうして善通寺アーケードのシャッターが一つ、また一つと開いて行って人通りに活気がもどって来ると思うのですがねえ~。

  善通寺の門前町、赤門筋商店街、この日は日曜日ですがご覧の通り。


アーケードの店80%はシャッターが閉ざされています。


 さくらじいウオーキングルートですが貸切ロード・・・!?

 ここ四国も大分県~愛媛県~香川県(徳島県)~和歌山県へと中央構造線と言う活断層が走っていて4月に熊本で発生した地震災害は身につまされる思いで、そんな大変な時に脳天気なブログを書いていいものか!?と憚れておりました。
 善通寺市は台風も避けて通る様な地で地下水脈も豊富で住みよい街、なんて言っていますが近くの歩道橋に登ると瀬戸大橋が見えるほどに海にも近い、瀬戸内海に津波は来んよとも言っていますがホンマですかねえ~磨り臼山を整備したら徒歩で登れる避難場所にもなると思うのだけれど・・・。