2016年5月2日月曜日

善通寺市って古墳が群集する地なんです・・故郷創成!?

 我が息子が小学生だった頃、夏休みの自由研究を古墳にしたらと言う事になり高松市の周辺を苦労して探し廻った事があります。
 何と!女房実家の善通寺には県下を代表する古墳群があったじゃあ~ないですか。
 それを知ったのは65歳になって退職し自由人となってから!?灯台下暗しとはこう言う事を言うのですね。
 それも4月の連休に善通寺市が主催する“古墳巡り”に女房が応募してくれていて限定人数の中に入れたから知った様なものなのです。
 そんな古墳巡りのお話をさせて頂きましょう。
 善通寺市教育委員会 生涯学習課が発行するリーフレット「国指定史跡 有岡古墳群」を見ますと、その冒頭には・・
 善通寺市内には400基を超える古墳の存在が確認されています。中でも筆の山・我拝師山で北部を、大麻山で南部を限られた広田川流域の有岡地区には、同一系譜上の首長墓と考えられる前方後円墳が集中し、大麻山山麓の谷間には至る所に後期古墳が群集する事が知られています。
 中でも王墓山古墳、野田院古墳・磨臼山古墳・鶴ヶ峰4号墳・丸山古墳・宮ヶ尾古墳は3世紀末から7世紀にかけて築造された県下を代表する古墳です。
 ・・と記述されています。
 古墳巡りバスツアーは毎年春の連休初日に善通寺市が用意した小型バスツアーで、ガイドをして頂けるのは市の職員さんです。


定員は25名。


早朝8時45分善通寺市役所に集合でしたので少々早めに8時20分頃に市役所西玄関に参りますと既に善通寺市のバスが待機しておりました。
 全てお任せですから、なあ~んにも考えずにバスに乗車して出発。
 最初は「野田院古墳」から・・?
大体の位置関係とイメージがつかめないと話にならない!?・・そうですよねえ~では善通寺市のリーフレットから写真と地図を借用させて頂きました。

 これで市役所から古墳巡りの位置関係をお解り頂けると思います。

 バスは大麻山山頂へと通じる山道を走り中間と言いますか標高2/3ぐらいの所にある野田院古墳に到着、ここはキャンプ場にもなっています。

 この日は小春日和の休日ですから愛好家や小学生・中学生の団体さんは麓から徒歩で登山していました、ただ道が狭く対向車との離合も頻繁にあるので初めて自家用車で登るのはチョットシンドイかもしれません。

 前方後円墳ではあるのですが他の地域に在る前方後円墳とは趣がチョット違います又、この様に整然と石組みがなされていますが平成9年からの発掘後に整備されたとの事。

 

 
 ここからは五岳山と讃岐平野が眺望されます。
 過の乃木希典さんもこの景観を見て“ここに第11師団を創設しよう!?と決めたと地元の歴史家オジサンは言っていましたが・・本当でしょうか。


 野田院古墳から見上げると各社のテレビ塔が並ぶ大麻山の頂上が見えます。


 キャンプ場はこの右側に広がって在ります。
 今思うと子供の小さい頃に来たら良かった!何もワザワザ遠くのキャンプ場に行かなくてもなあ~68歳となってキャンプをする元気はもうありません・・・・です。
 
 それにしても石積みの周囲に在る土瓶は何の意味があるのでしょうか、リーフレットでは壺形土器と説明がされています・・・勿論、壺はレプリカです。
 


 
 1時間程見学してバスは来た道を下って次の古墳、王墓山古墳へと移動。
 前方後円墳で横穴式石室を持ち金銅製冠帽や銀象嵌を施した鉄刀などの御宝が出土しているそうです。
 前方の山に見学者が立っていますが、ここからは善通寺市内が見渡せます。


 石室の中にある石屋形と呼ばれる石組みで瀬戸内海一帯でも数が少ない遺跡なのだそうです。


 次に向かったのは宮が尾古墳です。
 小振りな古墳で両袖式横穴式石室となっていて壁面には線刻画が描かれているのを見学できました。

 

  船に乗った人々が描かれていると説明がなされていますが・・如何でしょうか。

 


 一人がやっと入れる広さですね。



 他にも古墳は有るのですが周り切れません、この日は善通寺市の博物館と・・言う程ではないのですが出土品を観て善通寺市観光交流センターとなっている昭和の料亭建築「旧すし傳」を見学してお開きとなりました。


 今ではシャッター街となってしまった商店街ですが昔は綺麗どころの芸者も居て結婚披露なども華やかだったと聞きます。

 義弟が結婚する時にちょっと期待したのですがね。


 
 と・・ここまでが古墳巡りのお話ですが、実はこのツアーに参加したのは2012年4月29日、早いものですなあ~もう4年も前になってしまいます。
今回このブログを書く気になったのは何回も出して恐縮ですが女房実家の土地が有る磨り臼山に「磨り臼山古墳」と言う古墳があって・・と知ってはいるものの見たことが無いではイカン!?なあ~とウオーキングの足を延ばして観て、そしてブログに書こうと思い立ったからなのです。
 ウオーキングコース、自宅→JR善通寺駅→善通寺境内→自衛隊駐屯地と歩き何時もは直線で帰宅となるところですが今日は右折して磨り臼山古墳へ・・良い天気です。


 左は溜池の一つで名前が・・何だったっけ??で正面に北側斜面の(実家の土地が有る斜面は南側)磨り臼山が見えます、ここから見ると“ひょっこりひょうたん島!?。
 5分も歩くと三叉路になって「磨り臼山古墳」の観光案内板があります、ああ~ここから入るんだなあ~と・・でもその先には矢印も何もありません。
 ご近所の方に“磨り臼山古墳ってどこから入るのでしょう~と尋ねると
 少し戻った所の小さい溜池があって小屋が在る所からは入いるんですよぉ~・・

 ああ~ここかなっ!?


 コンクリートで舗装されているので気軽な気持ちで進むのですが直ぐに途切れて獣道もなく雑草が生い茂っています。
 あっりゃあぁ~どうしたもんじゃろ~のおお~
 雑草の茂る木立ちを分け入って入るか・・うう・・むう~
 一人じゃあ~なあ~・・と言う訳で断念・・怖気づいてしまいました。
 やっぱり何が有るか判りませんので、ここは仲間が居る時に再トライする事にしましょう。

 ゴメンナサイ!!



 そうして一路、大麻山を見乍ら磨り臼山を一周して帰宅しました。

 歩いた距離は12000歩・・今日のノルマは達成です・・やっぱりシンドイです!?



 磨り臼山から出土した石棺は善通寺市公民館のロビーに展示されています。


 とまあ~中途半端なブログになってしまいましたが、それから数日後のウオーキングで前述の博物館と言いますか善通寺市立郷土館に新しい展示物があるかもしれんと立ち寄って館長さんと30分も話をしてしまいました。


 日曜日の10時過ぎ、お客さんは一人もおりません、歳の頃は私と同じぐらいかなあ~と思われる館長さんが一人おられまして。
 4年ぐらい前に善通寺市主催の古墳巡りで一度見せて頂きましたが展示物は増えていますか、と尋ねると増えた物はありませんと言う返事。
 それから他愛のないと言うか、それでも古代に話題を絞りながら30分程、そうして話題はふるさと創生の話に展開し!?・・・凄いでしょう、流石は団塊世代のジジイです。
 善通寺市に住み10年になりますが善通寺市も多分に漏れず過疎の町となって殆どの商店はシャッターを閉じて正にシャッター街となっています。
 善通寺市には観光資源が結構ありますよね、古墳群があって、弘法大師生誕の善通寺門前町・・これって湯布院の様な、尾道の美術館のある通りとか、みたいな観光資源をもっと活用すべきだ!何て無責任な事を言ってしまいましたので迷惑だったかもしれません。
 でも磨り臼山古墳だってあんな立派な説明看板を立てているのだからもっと整備したら良い観光スポットになると思うんだけれどなぁ~
古墳があって、その足で頂上へ登ると何やら目的の解らない大岩が見えて来てストーンパワーを感じながら・・そうそうパワースポットになるかもしれない・・展望台に進むと噴き出た汗に爽やかな風が吹き付け眼下には讃岐平野の善通寺市を一望する事ができる。
麓から歩いて登るには丁度いい標高と距離、ジジイの私だって楽勝ですから。

 以前に書いたブログで紹介しました磨り臼山の大岩です、これって人工的に置いた岩ではないかと思わせるんですが、だったら目的は??ひゃあ~・・益々、勿体ない観光資源に思えてきました。


これ、自然の物に見えますか!?平らな面が重なっている。


そうして善通寺アーケードのシャッターが一つ、また一つと開いて行って人通りに活気がもどって来ると思うのですがねえ~。

  善通寺の門前町、赤門筋商店街、この日は日曜日ですがご覧の通り。


アーケードの店80%はシャッターが閉ざされています。


 さくらじいウオーキングルートですが貸切ロード・・・!?

 ここ四国も大分県~愛媛県~香川県(徳島県)~和歌山県へと中央構造線と言う活断層が走っていて4月に熊本で発生した地震災害は身につまされる思いで、そんな大変な時に脳天気なブログを書いていいものか!?と憚れておりました。
 善通寺市は台風も避けて通る様な地で地下水脈も豊富で住みよい街、なんて言っていますが近くの歩道橋に登ると瀬戸大橋が見えるほどに海にも近い、瀬戸内海に津波は来んよとも言っていますがホンマですかねえ~磨り臼山を整備したら徒歩で登れる避難場所にもなると思うのだけれど・・・。

0 件のコメント:

コメントを投稿