2013年6月27日木曜日

立派な糖尿病ですな~!

 2004年4月1日の辞令を受け広島支店に転勤となったが新しい住まいを広島支店事務所から徒歩5分の所に決めたのがいけなかった。
 営業職で客先との会食やイベント等で外食が多い事も原因であったろうと思うが何せ通勤が5分で多くなったディスクワークそして営業での外出も殆どが社有車では1日における私の運動量は希にある下手なゴルフがあるものの殆ど0と言っても良いくらいではなかったかと思う。
 そんな不規則で不摂生な毎日を1年過ごした2005年の成人病検診。
  メタボリックシンドロームは毎年の事と高をくくっての結果であったが空腹時血糖値が
262mg/dLと言う高値に愕然!再検診となってしまいました。
 再検診でも空腹時血糖値は250mg/dLそして初めて測定した血糖値を平均で表す指標であるヘモグロビンA1cが11.1%と言う高値を示し、お医者様からは「立派な糖尿病ですな~」と病名が付いてしまったのでした。
 ドクターから言われた1日1800キロカロリーを厳守、運動不足も通勤は遠回り30分の徒歩そして日曜、休日は旧広島空港の近くであったので海を観ながら滑走路の横の側道を往復して約1時間強のウオーキングを我が身に課して実行、この辺が元来の小心者と言うことでしょうね~。
 当初は一番弱いレベルの血糖値を抑える薬を飲みましたが努力の賜物か空腹時血糖値
114mg/dL、HbA1cが9.7%と下がり徐々にHbA1c上限値6.2%を
下回って推移する結果となった。当然、薬も下がってからは飲んでいない。
 
 ヘモグロビンA1cの推移では05年~10年までは検診回数での平均値で示し12年~13年の今日までは検診日毎の推移で表している。
 2006年3月末日をもって役職定年となって4月1日からは青春時代を過ごした高松営業所に戻り高齢者雇用満期で退職する2012年10月末日までの7年間を善通寺から琴電と徒歩による通勤により過ごした。
 その間は一線の営業職から庶務的な内勤になり弁当持参でのカロリー制限と片道2時間弱の電車と30分徒歩の通勤による運動負荷もあって2011年までのヘモグロビンA1cは上限を超える事はなかった、しかし2012年に入り上限ギリギリの6.2%や6.3%と上昇している原因はやっぱりマンネリと危機感の欠如から摂取カロリーが増えていたのではないかと反省させられています。
 そうして2012年9月から10月にかけて6.3、6.5と上昇するに至りドクターからは、
“加齢によって上昇するのは止むを得ない、このまま上昇する様なら投薬に移行せざるを得ないな~”と言われ、それなりに納得はしていたものの12月から正月を経ての1月検診で出た6.8%の値に、薬を飲み始める前に、ここは一つ我が身で実験をしてみようと思い立ったのです。
 それからは1日1万歩以上をノルマとして午前中に1時間、午後に30分の早足歩きを我が身に課して最初は寒く震えながら、そして今は大汗をかいてのウオーキング、何とか三日坊主にならず続けています。
 その結果が下記表の2013年1月から6月の検診結果ですが、これを見ると明らかに運動による効果ってあるんだな~と実感させられます。
 因みに1月2月は歩数計を持っていなかった為に記録はありませんが概ね午前1時間、午後30分のノルマは実施していたので下記同様の歩数は歩いていると思います。

3月の平均歩数は7781歩   平均朝体重 77.6Kg
    4月の平均歩数は10366歩  平均朝体重 77.2Kg
    5月の平均歩数は11107歩  平均朝体重 77.0Kg
    6月の平均歩数は10772歩  平均朝体重 75.7Kg

 1日の摂取カロリーは約1800キロカロリー
 晩酌は350ml糖質0の発泡酒1本と日本酒0.8合です。
 休肝日はなし。
 この先の目標はHbA1c 5.4%でしょうか。

 糖尿病と診断されてから月に1回の検診を受けて現在に至っていますが検診を受けている血液内科の専門病院には何時も多くの患者さんが来られています。
 やっぱ!糖尿病は万病の元ですから怖いです、やっと高齢者雇用の満期65歳を迎えて退職し自由の身になった訳ですからね、これからの残日を健康で楽しく過ごさなくっちゃ。

『HbA1cについて』
HbA1cヘモグロビン・エー・ワン・シー】値とは、赤血球中のヘモグロビンのうちどれくらいの割合が糖と結合しているかを示す検査値です。
ふだんの血糖値が高い人はHbA1cが高くなり ふだんの血糖値が低い人はHbA1c値も低くなります。
過去1-2ヶ月の血糖値の平均を反映して上下するため、血糖コントロール状態の目安となる検査で多くの病院の糖尿病外来で毎月測定されています。
 HbA1c(ヘモグロビン・エイワンシー)が変わります!
日本糖尿病学会では、201241日よりHbA1cの表記を日常の診療において国際標準値(NGSP値)を使用することに決めたそうです。したがって、これまで使用していた数値(JDS値)よりおよそ0.4%高くなります。
 

 と言う訳で下記2012年以前のHbA1c値は全て旧値に+0.4した値で表記しています。

2013年5月28日火曜日

井出掘り・・?

『井出掘り・・?』

 退職し毎日が日曜日になって自治会でのお付き合いが増えてきておりまして5月12日の日曜日には農業用水路の清掃に駆り出され久し振りの肉体労働、春爛漫の快晴と相俟って大汗をかきました。
 その農業用水路の泥上げ清掃をこちらの部落では井出掘りと言って田植え前に毎年行われる農家の方々の年中行事です。
 役職定年を契機に高松へ転勤し、こちらに住んで早7年目になりますが自治会に入って周囲が農家である事と香川県は善通寺である事で東北生まれには聞き及ばない単語が幾つかあるのです、その一つが“いでほり”呑み仲間の仲良しさんに“いでほり”ってどう書くのでしょうかと聞いてもハッキリしませんでしたが、どうやら井出掘りが正しい様で、つまりは農業用水の清掃の事を言います。
 所謂ドブではないですよ、農業用水路の清掃で今ではコンクリートの掘りで作ってあるところが殆どですが昔は田んぼの横を掘っただけの掘りでしたから稲刈りが終わって又、田植えが始まる頃には埋まってしまう、その埋まってしまった用水路の掘りを田植えの前に同じ水利の農家が共同で掘ると言うのが井出掘りと言うのです、ヨソ者でサラリーマンの倅で育った私に取っては初体験、いや!実はもう去年もやったのですけれどもね。
 昨年から環境保全の取り組みを自治会でやっていて農家も高齢化、今は農家、非農家に拘わらず、と言う訳です。
 午前中の労働が終わって昼休み、弁当と350mlの缶ビール、そして日本酒を勧められるまま1合を呑んでしまい・・・そして昼から又、残り作業で2時間。
 いや~!昼の酒は効きますね~。
 それにしても心配だった腰くんも保ってくれました、感謝です。

        現在の用水路はコンクリート3面ですから清掃ですよね。


 ここは現在使っていない、つまり水は流れていないのですが、この様な水路はコンクリート水路ではなく土なので埋まってしまう、これを掘ると言うのが井出掘りの云われなのでしょう。水が流れなくとも我が部落の水路ですから掘るのですね。


 
 この日も暑かったです、でも雨降りよりは良いですね。

   郷に入っては郷に従え!!何でもやりますよ。


 ただ身体がね~、じじいになったせいか腰痛地雷の信管に振れない様に注意しなが
らですが、ね!

2013年3月16日土曜日

回想 やりたかった模型趣味 ①


 東北生まれで寡黙な人間が、まいど“おおきに”えらいすんません、商魂で有名な浪速は大阪に!サラリーマンの宿命とは言え転勤になろうとは思ってもいない事でした。
 1998年~2004年の7年間、営業二課長としての勤務でしたが、転勤当初は無我夢中!2000年問題では大晦日に出勤し正月を職場で迎える等あっと言う間に過ぎていきました。
 まあ大都会の大阪ですから楽しいこともありましたし営業職ですから社用族で北新地にも出入りし仕事でも充実した日々を過ごしました、しかしそれと同じくらいのストレスもある訳で、このまま行けば病気にも成り兼ねないな~と思いつつ休日に行った本屋で模型週刊誌と言うのでしょうか「ビルディング・カティーサーク」と書かれた2cm厚の段ボール箱とセットになった本を目にしてパラパラとページをめくり、そして箱には部品と思われる成形された模型用合板が数枚、帆船模型と言えば高級品で組み立てキットだって半端な金額じゃ買えない、そんな高級帆船模型が一回の作業量は少ないし価格も一回が千円、んん~ん、ストレス解消には良いかも!そんな軽い気持ちで購入開始する事にしました。

 この様な取扱説明書と言いますか組立要領書が付いていて、その指示に従って製作を行います。



 部品にヤスリをかけて磨き、そしてボンドで組み立て、1回の作業はこれで終わり、どうです物足りませんか、何故か次の号が楽しみになるのもストレス解消には良いのかもしれません。



 子供の頃から模型作りは大好きでプラモデルもずいぶんと作りましたが、それこそプラモデルの無かった時代には木製のある程度加工された艦船模型を作りゴム動力でスクリューを回し風呂や一寸した水たまりで走らせたりもしました。
 しかし、そうですね中学も三年生になると受験が迫り出来なくなって模型と言う言葉さえ忘れていたと言いますと嘘になりますがね。
 それがストレス解消とはいえ50歳を過ぎてやろうとは考えもしなかった事でした。
 delPrado japanと言う会社の輸入商品のですが後に会社が倒産してしまいます、その話は後にお話するとして「ビルディング・カティーサーク」の商品仕様は次のとおりです。
縮尺   1/90作品
発刊年数 2003年~2004年(約2年)
商品名  カテイーク(delPrado)
定価   1,000円/週
最終   95号  結果的には総額9万5千円ですから、やっぱり高級模型です。
 大阪勤務時代の55歳から初めて終わりが広島勤務時代の56歳でした、転勤族の住処は狭いし部屋数も無いのですが子供達は巣立った後でしたのでやれたかな、と言うのもあり又、木製模型特有の木くずやヤスリがけの埃にも文句を言わず亭主のストレス解消に理解をしてくれた女房どのには感謝しなければいけませんね、お陰様で鬱病になることもなく高齢者雇用の満期、65歳まで仕事をする事ができたのですから。


2002年9月
2003年6月
2004年2月
2004年5月(95号)

この時は56歳になっていました。



 もう9年も前になってしまいます、うう~ん!56歳か、髪の毛もあるし若いっすね~、年月の流れが速い!今こそ1日を充実した日にしなければ、なんて思ってしまう、やっぱり残日録は続けよう。

 2013年3月15日のカティーサークです、埃が溜まり船底の真鍮板は黒くなり先端マストにもガタがきて9年の歳月を思わせます。
 よし!ドック入りさせて今度は帆を張ってリニューアル玄関デビューだ。









2013年2月22日金曜日

無人駐車場で赤恥


『無人駐車場で大失敗』

 “朋あり遠方より来たる亦楽しからずや”とは論語の最初に語られている言葉だそうですが私より先に退職した東京に住む先輩が広島で呑みたいと言うものですから、ここは行かねば義理が立たないと、わざとらしいが新幹線を諦め高速バスで行くことで節約努力を女房に示し、いそいそと出かけた次第です。
 高松から広島行きのJR高速バス、昔はJR坂出駅に高速バス停があり善通寺からはJR高松行きに乗れば良かったのですが今は高速道路坂出インターを降りた所に移設されたためにバス停までは自家用で行き無人駐車場に駐めるしかなく、ここで大失敗の赤恥をかく事になろうとは・・・。
 この坂出インターの駐車場はバースターミナルの近くともう一つ国道を挟んで向かい側の二カ所がありターミナル近くの駐車場は既に満車、やむを得ず国道向かい側の駐車場に駐めるしかなかったことも不運であった。
 さて久し振りに友と酒を飲み交わし楽しい一時を過ごして翌日は広島バスターミナルから高松行きのJR高速バスに乗車し約3時間で坂出インターバスターミナルに到着、忘れないようにと降車時には運転手さんから駐車場サービス券を受け取り長い信号を待って国道向かい側の駐車場へ。
 自家用に乗って先ずは確認、駐車券を見る、駐車料金の記述はなし、サービス券を見る、サービス券にも料金の記述はなく取り立てて注意文章もない。
 このサービス券を投入すればゲートが開く、この思いこみが失敗の最大要因でした。
 何の疑問も持たずにゲートへ車を進行させ駐車券を投入すると料金表示が6千円!何の心配もせずにサービス券を投入、当然、料金表示が0円となってゲートが開くと思った瞬間、料金表示の液晶に500の数字が!ぬあに~と財布を見ると1万円札が3枚、小銭はと急ぎ小銭入れをポケットから出し見ると10円硬貨と1円硬貨が数枚、しまった、広島バスセンターで小銭を使ったんだっけ。
 そう思った時には後の祭りで仕方なく車をバックし駐車場に戻して急ぎバスターミナルのカウンターへ、すみませ~ん、実は~と経緯を説明し両替してもらって急ぎ駐車場へ。
 ゲートには後続と思われるおじさんがゲート器械の横にある緊急インターホーンで話し中、出られんのやけど!どうなっとるん!と怒り声。
電話、をし終わったおじさんに平謝り、すみませ~ん!!私が小銭が無くて今、両替に行っていたところでと事情を話すと、おじさんが、これあんたの駐車券かい?と手渡してくれました。
どうも時間切れとなって投入した駐車券が戻ってきていたらしい。
呆れた顔のおじさんには謝って何とか先に出て頂きました。
戻ってきた駐車券には取り消しの印字がされていて又、精算書-500.と言うレシートが出ていました。
なにせ最初の料金表示が6千円となっていたのにビビッリながら、もしかしたらサービス券が無効になったのではと不安でドキドキでゲート器械の横にある緊急インターホーンを上げ呼び出すと応対した女性に経緯を説明、女性は戻ってきた駐車券にはサービス券の情報も書き込まれているので通常と同じ要領で投入すれば出られます、の回答。
一抹の不安は残っていたのですが車を再度、駐車場のゲートへ、恐る恐る一時取り消しと印字された駐車券を投入すると液晶表示には¥500.と表示され、取り敢えず一安心おもむろに¥1,000.を投入するとゲートバーが上がってお釣りの¥500.がチャリンと音を立てて戻ってきました。
ふう~!やれやれ無事に駐車場を出る事ができましたがロスタイム30分、何とも焦りまくった最終日でした。
因みに無償は1泊分だけで後は1日・¥500.ということらしい。
後日、善通寺の高速バスターミナルに行き失敗の検証を試みた。
バスターミナルの受付カウンターのガラスに駐車場の利用が書かれてある張り紙がしてありそこには次のような記述がなされていた。
当停留所から高速バスをご利用のお客様は降車時に搭乗員から48時間無料のサービス券をお受け取り下さい。
       最初の1時間は無料です。
       1時間を越え24時間迄、2,000円です。
       割引利用券の場合は、48時間迄無料です。以降24時間を越える毎に500円ずつ追加されます。
※ 料金精算は、1,000円札・500円・100円・50円・10円硬貨でお支払い下さい。2,000円以上の高額紙幣は使用できません。
 駐車券に料金説明がないとは言え、最初に確認をしなかった俺の失態だよな~、でも最初の表示に6,000円はないよな~、これでビビってしまって側にあったインターホーンも目に入らず長い信号の道路を渡ってターミナル受付まで走ってしまったのだから。
 料金精算器も確認すると。
 な~る、ほどな~、ちゃんと取り消しボタンと駐車検紛失ボタンがあるじゃないですか。
 もっと冷静な判断があったら取り消しボタンを押して駐車券を取り戻して車を駐車場のスペースに戻してから両替に行って再トライすれば何の問題もなかったし焦る必要もなかったんだな~と悔やむ事しきり。
 でもサービス券が無効になる?これが一番の不安材料だったのだから果たして取り消し操作を知っていたとしても焦っただろうことはやっぱり否定できないな~と。
 戻ってきた駐車券にはちゃんとサービス券を使用した記録が入っているとは、アナログ人間である、じじいの頭では閃く事も無理と言うものですかね。

 皆様、どうぞ如何なる時も駐車場利用の折りは小銭の事前確認を怠りません様に!




 AMNOってあの我らが入社した当時の出勤、退社で必ずタイムカードを挿入しガッチャンと印字された、あのタイムレコーダーのメーカーではないですか。
へえ~、今はこんな事もやっているんだ!今でもタイムレコーダーを使っている職場は少ないと思うけど、世の中、出入り管理の仕事はなくならないんだね。

2013年1月24日木曜日

2013年1月24日

『床屋で丸坊主』

 髪の毛が薄くなって来たのは遠い昔の話ですが前回、床屋に行ったのは確か退職する前だったから4ヶ月ぐらいにはなるのでしょうか。
 てっぺんに無くとも脇の毛が伸びて耳に被るし後ろの方も長くなって、もう限度、このままでは落ち武者になってしまう。
 この様な髪型で思い出すのは高校時代の英語の先生で名前は忘れましたが渾名だけは不思議と覚えているのです。
 ”バックビートルズ”誰が付けたのかロングヘアーが流行っていた時代で先生がチョークを持ち黒板に向かって書く姿は正にビートルズにそっくりでした只、後ろ向きなんですけれどね。
 そんな渾名を笑って喜んだ私の頭が同じようになるとは!神様のお仕置きかもしれません。
 行きつけの床屋に行けば何も考えずに”何時もの通りにお願いします”と言えば良いのですが
何せ会社の近くなものですから退職した今は終の棲家とした田舎都市の床屋を探さなくてはなりません、この頭のせいか初めての床屋は嫌なんですよね~、転勤する度に床屋探しに苦労しました。
 もう2年前ぐらい前に突然出来た床屋さんでカット¥1,500.-の看板が気になっていたものですから意を決して入ってみてアッチャー火曜日なのに先客が5人もいる、仕方なしと長時間を覚悟してマンガ週刊誌をパラパラめくっていると”次の方~”ん!早いぞ、マスターを含めて理髪師2名でやっているからかな~と思っていると30分もして私の番、そう言えば皆さんカットのみで帰って行く、そうか!俺もカットだけしてもらおう。
 椅子に座って”どうしますか”の問いに、うう~ん、丸坊主はアウトローさんにみえるかな~と言うと”いえいえ、最近のアウトローさんに丸坊主は少ないですよ、以前は多かったかも”そうか!じゃあ丸坊主にして下さい。
 40数年つづけた営業家業、これからは”お”神様に気を遣うことはないのです。


2013年1月3日木曜日

退職して隠居爺になる!

 フルマラソン42.195Kmの語呂に合わせた訳じゃないけれど42年と7ヶ月をフルに走って昨年の10月に高齢者雇用の満期を迎え円満退職とあいなりました。
 就職難のこのご時世に若者には申し訳ないけれど65歳と言う年齢まで勤め上げる事が出来て感謝です。


                 2012年10月31日 『仕事よ!』 good bye


 
 毎日が日曜日になって整理三昧の2ヶ月が過ぎ2013年を迎えました。
さ~て、定年退職して第二の人生と言いますが過の伊達政宗が晩年になって詠んだ詩にあやかって考えてみたいと思っています。
 
 社有車に乗り、四国を駆け巡るうちに青年時代は過ぎ去り、壮年時代を大阪・広島と転勤し瀬戸内海を一周して定年を迎えました、そして定年後の高齢者雇用も昨年満期を迎え頭の禿げにも年季が入って、いよいよ私も晩年です。
 終焉の地で残された時間は少ないですが、天が与えてくれた余生を楽しまなくて、なんとしましょう。
 余生はきっぱりと楽しみに重心を移し趣味の模型を作ったり土を相手の自然に融合したりの生活を送って暮らしたいと思っています。

 そんな詰まらん事を書きますがBloggerになったら、もっと人間としての器も大きくなるかもしれないと我がに期待を持って。


 未だ50代の頃だったと思うのですが藤沢周平さんの『三屋清佐衛門残日禄』の単行本を読んでから自分も定年になったらと憧れていましてブログの題を『さくらじい残日禄』とした次第です。
 全てがあやかりもので申し訳なし。